今俺が死んだら?

たまに、ふとした瞬間に、今俺が死んだらどれくらい美しいだろう、って考えることがある。

みんな、どれくらい悲しんでくれるのかなあ。泣いたりしてくれるかなあ。喜ぶようなやつもなかにはいたりするのかなあ。そんなに嫌われてないといいなあ。

亡くなった、って言葉が嫌いだ。小さい頃に、死んだ、って言うのは失礼だから、って言われて、ああ、じゃあ、亡くなった、って言うもんなんだなあ、って思いながら生きてきた。

気づいたのは、去年、愛犬のモコが死んだ時だった。癌だった。死ぬ前は呼吸をするのもくるしくて、動物病院から借りてきた酸素ルームの中でぐったりとして、くるしそうに息をしていた。家族で話し合って、これ以上苦しんでほしくないって、人間のくせに、ただのエゴのくせに、病院での安楽死を選んだ。重い選択だった。

亡くなった、なんて言えなかった。

いちど、夢にモコが出てきたことがある。その夢の中でモコは、安楽死の注射をうたなかったことで、生きていて、元気に俺の元に駆け寄ってきた。夢の中だから、因果関係がぐちゃぐちゃだけど。
(あ、なんだ、治ったんだ、よかった)って思って、嬉しかった。目が覚めて、夢だったってわかって、思わず泣いた。
そうか、俺が殺したんだもんな、と思った。

亡くなった、なんて言えなかった。

俺が今死んだら、俺と特に仲の良いひとたちは流石に悲しんでくれるだろうな。だけど俺が好きなあの子とか、尊敬してるあの人とか、まだ仲良くなりきってないあいつとか、授業のときちょっと話すだけの教授とか、二回俺の髪切ってくれた美容師とかは、泣いてはくれないかもな。それは悔しいから、俺が死んだ時にそいつらが全員号泣するようになるまでは、死なないでおこうと思う。

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