見出し画像

森田真生×江本伸悟トークイベント

昨日久しぶりにリアルイベントに参加した。私の大好きな森田真生さんと江本伸悟さんのトークイベント。印象に残ったことを忘れないうちに書き記しておこうと思う。

言葉で表されたものだけが哲学じゃない。着るもの、住む家、日々の暮らしそのものが哲学。

江本さんは大学で「生命と物質の境界をなくすには」ということについて考え渦の研究をしていたらしい。渦は中身は変わり続けているけれどでもその渦というアイデンティティは保ち続けている。人間の細胞も日々変化していて何日か後には全ての細胞が新しいものに置き換わっているけれど、「私」というアイデンティティはそのまま存在する。
人間は文字を発明することによって心を発見した。文字ができるまでは人の「今」沸き起こった感情はその時のものでしかなくて、時間や場所を移動することは出来なかったけれど、文字によって保存可能になりそれが可能になった。

物質が変わっても保ちつづけられるアイデンティティとは。心はその人の身体の中に閉じて存在している訳ではなく、周囲のあらゆるものに染み出している。意識するものだけでなく、意識できていないものにも脳は反応していてそれにより行動や考え方が変わる。
自分が意識的に取り入れたものだけで思考するのではなくあらゆるものに影響を受けて思考は行われている。

人間の行動は物理的なルールではなく、制度によって規定されている

固い物質は予め決められた記述できるルールのもとに存在しているが、人間はそうではない。物理的に強制されていないのに同じ行動をする。外側から法律などでルールを決めてもそれに従おうとしては行動しない。みんな周りの人が次はどのううな行動をするか、お互いが心を読み合って自分が損をしないようにという考えのもと行動している。
それでこの社会は成り立っている。お互いがお互い影響を与え合いながら均衡状態が保たれ、そしてそれを保つことでそれがさらに強化される。

そのような状況のもとでは、自分だけがその制度の外に出ると損をするのでみんな出たがらない。だから制度の外側は誰もまだ探索していないし、そして出ようとする者がいたら出ないようにとみんなに攻撃を受けることが多い。

でも変化の激しい今、未来の予測をみんなで共有することが難しくなってきている。このまま制度の中にいたらこうなるという未来を描くことが難しい、もしかしたらこういうこともあるかもしれない、これはおかしいのかもしれないという気持ちが少しずつうまれはじめてきている。

学級とは最低限の知識を最低限のコストで提供する機関。だからそれ以上のことを望むのは無理。

この話が一番印象に残った。いい学校、いい教育をしようって言うけどそれはどうしたらできるのか。
まずいい学校を数個作っても、それでは変わらない。学校はいつか卒業するし、そしたらいけてない社会の中で生きていかなければいけないことに変わりはないから。
いい教育は?政府に訴えて教育改革をする?でも教育はいろいろな社会のしくみの関係の中の相互補完された中で成り立っていて変えるのはものすごく難しい分野らしい。いつかは変わるかもしれないけれどそれにははるか遠すぎる。制度のトップダウンじゃ変わらない。
学校は限定された機能を供給するものと考え、それ以上のことを期待するのをやめる。

私たちに今できることは、一人ひとりの心のあり方を少しずつずらしていくこと。学校に行かない、行きたいときだけ行く。そうすると周りから何か言われたり摩擦が生じるが、その摩擦こそ制度が変容しようとしているあかし。一人ひとりが摩擦を起こして行くことで制度は変わって行く。制度の外側に出て探索をしてみる。

そしてその摩擦による苦しみに疲弊しすぎないようにするには、ある程度制度が浮いている制度補完性がゆるいところに身をおく。そのような場所を持っておくこと。一つの会社や団体にだけ所属していたらそこでの制度の中で生きていかなくてはいけなくて、違うことをすると攻撃を受けやすいがそういうところから少し距離をおくことで好きに振る舞いやすくなる。

今の私がこれに近いかもしれないと思った。フルタイムでない働き方でひとりで思考にふける時間が結構ある。だから目指さなきゃいけないゴールとか気が乗らない競争に参加しなくてもあまり気にならない。

たった2時間だったけれど沢山の言葉のシャワーを浴びて、帰りの電車の中では頭がいっぱいだった。最寄駅の風景が全く違うものに見えた。多くの部分が書き換えられた気持ち。そして知りたいこと考えたいことがまたたくさん増えた。とてもステキな時間を過ごすことができて幸せでした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?