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人に迷惑をかけずに誰とでも仲良く元気いっぱいな人にはなれないけれど

「友達をたくさんつくりましょう」
「誰とでも仲良くしましょう」
「元気で明るいの人になりましょう」
「人に迷惑をかけないようにしましょう」
・・・・・

私がいままで生きてきて、当たり前だと思っていたこれらのことば。人としてこれを達成しないといけないことだと先生や親から教え込まれてきた。
でも最近は、これって本当に必要?と思う。

友達をたくさんつくりましょう

私は小学生のころ、放課後誰かと遊ばなくちゃいけないという強迫観念に捕らわれて学校生活を送っていた記憶がある。放課後一人でいるのはさみしい哀れな子なんだ、友達がいない嫌われ者で親はそれを見て心配するかもしれない、と思い込んで放課後までに誰かと遊ぶ約束をしなきゃと焦っていた。

でも、私はそんなに小学校の友達と遊ぶのが好きじゃなくて(気が合う友達がいなかった)そしてそんなことを思う自分を認めたくなかった。
友達と遊んでいない=友達がいない=ダメな子
と思っていた。これは親や先生の影響。

今だったら、一人でいればいいよ!と思う。
友達が多ければいいわけでもないし数の問題じゃない。自分と気が合う人と出会う手段はたくさんある。だから自分の子が家で一人で遊ぶの好きだったとしてもそれを受け入れて「変なことじゃないよ」と伝え続けたい。

誰とでも仲良くしましょう

嫌な子とも嫌いなこともそういうそぶりを見せずに仲良くしましょう。そのためには自分は我慢することも必要です。
そう教え込まれてきた。
でも、誰とでもなんて仲良くできません。一緒にいて楽しいと思う人もいるけどどうにも居心地が悪い人もいる。それを素直に受け入れて、ダメなことだと思わずに無理せずにいきたい。

元気で明るい人になりましょう

元気で明るくて面白い人って憧れる。ハキハキしていていつもニコニコしていてすごいなぁと。私もそうなれたらいいのにな、と思って努力でどうにかしようとしたけれどそれはそれで辛かった。私にはそういう素質は備わっていないらしい。元気で明るくなるには私は「無理をして」そう振舞わなくてはいけないのだと気づいた。
そして私の周りには「元気で明るい人」ではない人もたくさんいて、それぞれみんなその状態でも素敵な人。正解は「元気で明るく」だけじゃないのだからそれぞれの自然体で生きていけばいいのだと思えてきた。

人に迷惑をかけないようにしましょう

もちろん人に迷惑をかけることはいいことではないけれど、だからといって自分が辛いのに我慢してそして自分が我慢しているのだからみんなも我慢しろと思えてきてしまうのはどんどんみんなが生きにくい社会になってしまう。
私は今子育て真っ最中だけど、街中に出ると子どもは人に迷惑をかける可能性が高い。公共の乗り物に乗ったり、外食をしたりするときに騒ぐ、公園で大きな声を出しながら遊ぶ、道端でぐずる、病院で騒ぐ。これって迷惑なんだけど、でも親側すると全く迷惑かけないようにするには最大限努力しても難しい(私も親になるまで迷惑だなとしか思っていなかった。ごめんなさい。)。

インドではこのように教えられるそう。

人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい。

そう。人って生きていたら迷惑をかける。だから、迷惑をかけないようにとビクビク生きてそして他人からの迷惑に敏感になるのではなくて、迷惑かけちゃうけどその分私も他人の迷惑を受け入れよう、と思うことができたら少し生きやすくなるんじゃないか。お互い様、と。


ここで挙げた四つのことば。私は長年この呪いに取り憑かれていて生きにくかったけれど、こんな考えを知ることによってまた呪いを思い出しそうになった時に「あ、違う違う」と思い直せることができるようになってきた。
まずは私自身がこれを実践して、そして子どもにはこんなふうに思わないようになって欲しいと思っている。

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