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3-3.銅鐸の下にある「重たいもの」とは何だったのか?

 大国主命神話が成立するためには女王制が発展するべきだったと先述した。果たしてそれ以外に方法はなかったのであろうか。実は古代の遺物を調べていくともう一つの道があったことに気付く。それは「再葬」である。

 「再葬」とは、一度遺体を埋葬し、何年かして骨だけを取り出し、改めて埋葬するという葬儀方法のことである。民俗学では二次葬や風葬とも呼ばれることがある。骨にするまでの方法は、土中に埋めたり、石棺に入れたりと地域によってさまざまであるが、この葬儀方法の特徴は骨になるまで葬儀は終わらないとする考え方にある。つまり相続する側が葬儀の日程をあらかじめ決めることができる。例えば、航海に出たり、狩りに出かけて何か月も故郷に帰れないような移動型の生活をしていても、冬になるころに戻ってきて、葬儀を行うことができる。大国主命神話のように何か月も出雲に帰らないような支配制度が成立するためには、この葬儀方法は有効な手段であったのではなかろうか。

 ただ、またしても残念ながらこれも絵空事にすぎない。「再葬」の遺物は東北、関東、中部でしか見つかっていない。いわば青銅器時代ともいわれる弥生時代の遺跡はこの「再葬」と関係がないのである。さらに不思議なことにこの「再葬」が最後まで続いていたのが沖縄、奄美大島だったことである。昭和初期までこの「再葬」は行われていたという。青銅器を使っていたとされる場所では「再葬」は行われず、それ以外の場所では行われていた。そんなことがあるだろうか。または、そこに何かの違いがあるのであろうか。

 そこで先述の「重たいもの」の正体について考えてみたい。単刀直入に言おう。その「重たいもの」とは「遺体」だったのではなかろうか。

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