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心やさしき神様

ぼくの公式(公式、非公式なんてないけれど)身長は170.4センチ。高いほうでも低いほうでもなかったけれど、現在の高校3年生の平均身長は170.6センチ(令和元年調べ)なのでちょっとだけ低いといえるのかな。

今から数十年前の身長なので、おそらく今計測したらもっと縮んでいると思う。というのは、前なら届いたはずの場所に手を伸ばそうとすると、かかとを上げないと届かなくなったからだ。2~3センチは縮んでいるだろう。ということは、ぼくは既に170センチ以下ということになる。

ここにきて、ついにぼくは地球の重力に完全に敗北した。しかしながら、哀しくはない。これは地球からのメッセージだと好意的に受け取ることにしよう。もっと高い景色を見たければ山に登ればいいし、低い景色が好きならしゃがめばいい。

負けてから得られることのほうが、人生は多いのだ。



ところで、ぼくは大きい人を見るのが好きだ。その存在感は見ているだけでほれぼれする。

例えば、プロレスならジャイアント馬場(公式208センチ)やアンドレ・ザ・ジャイアント(公式224センチ)なんて、立ち姿だけで圧倒されたものだ。しかしながら、当の本人の気持ちを考えたことがあるかといえば、申し訳ないけれど想像だにしなかったと謝るしかない。

最近、よくプロレスの本を読むことが多い。彼らにしてみれば、大きいだけで好奇の目にさらされ、バケモノ扱いされることは、決して本意ではなかったことがよくわかる。


そう考えると、出雲のあの神様はいったい、何を思っていたのだろうと考える。その名は、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)。出雲の「国引き神話」の神様である。

「国引き神話」とは、神々が作った出雲が小さく造りすぎたようなので、かわりに八束水臣津野命が新羅、隠岐の島、越の国、良波の国の余ったところを長い綱で引っ張て来て、国を広く造り直した伝説のことである。

そのとき、今の三瓶山と大山を杭に見立て、長い綱を引っ掛けて4つの余ったところを引っ張ってくるという力技を見せたという。大山は標高1729m、三瓶山でも1126mある。そのおおやまに綱をひっかけるのだから、少なくと見積もっても八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は500mの身長がないとこの国引き神話は成り立たないということになる。

島根半島が高いところでおおむね500mなので、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)がちょっと背伸びしたら山から顔が出るくらいである。いったい、そのような大巨人がどのようにして生まれたのかは、「古事記」、「出雲国風土記」を見ても、どこにも載っていない。

想像するに、この大巨人、子供のころからそうとう疎まれて育ったのではなかろうか。なにせ、身長500mである。一体食べるものは何だったのだろう。食べたものを出した後はどうなるだろうと想像するだけで、とんでもない大惨事が目に浮かぶ(お食事中の方、ごめんなさい)。

おそらく人里では住めなかったに違いない。なんといっても、身長500m。走っただけで地震である。運動なんてもってのほかで、おそらく山奥に引っ込んで、動くことも制限させられていたのではないか。そう思うと、なんだか不憫に思えてくる。

幼少期の八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)はいったい何を考え、何を思っていたのだろう。泣いた日がなかっただろうか(泣いたら泣いたで喧しいから、それはとても静かなむせび泣きだったのだろう)。そして、そのつらい日々をどう乗り越えたのだろう。



推定身長500mであることから、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は人々からバケモノと恐れられていたのではと推測した。なにせ大きすぎて背伸びしたら、山から顔が覗くのである。それは怖いでしょ。大きすぎて人里にも近づけず、歩くこともままならない、いわば軟禁状態のような生活が続いたことだろう。そんな生活が楽しかろうはずがなかった。

本来なら、不当な扱いに怒ってしかるべきだ。なんといっても推定身長500m、怒りに任せて暴れれば、ものの数分でこの出雲の地は破壊されたであろう。ゴジラも真っ青である。

ところがそんなことは起きなかった。おそらく、よほど幼少期からしっかりとした教育を受けていたのであろう。父親というのは社会性を気にするもので、ひょっとしたら八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)を忌み嫌っていたのかもしれない。そうなると、やはり生みの親、母親が偉かったのではなかろうか。

「お前が大きいのは、きっと世の中で役立つことがあるからだよ」と寝物語によくよく聞かせていたかもしれない。ひょっとすると八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の身の回りのお世話や教育は母親が行っていたのではなかろうか。


そして、青年となった八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)に運命の日がやってくる。

「国引きの大事業」である。

この「国引き神話」であるが、事実であるなら、かなり強引なことをしている。いくら余っていたからと言って、他国の領土をとってきていい法律はないであろう。おそらくそこには両者合意みたいなものがあったのではなかろうか。つまりは4つの国は出雲と合併(合体?)価値があるとみていたのではなかろうか。


さぁ、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の出番である。いつもならバケモノのような扱いをしている里のみんなも、今日ばかりはやんやの歓声だ。

「ヤツカミズ、ヤツカミズ、ヤツカミズ」

八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)が力を込めて、島を引っ張るたびに大声援を浴びる。生まれてから一度も人間から声援など受けたことがなかったであろう八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は、おそらくすべての力を出し切って4つの島を引いてきたのではなかろうか。

人間というものは、強欲なもので、一度の偉大な功績も、いつかは忘れ去り、またバケモノ扱いをするようになってしまうもの。推測ながら、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は国引き後、最後の力を振り絞り、息を引き取ったのではなかろうか。

だからこそ、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の業績は神話となった。


八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の性格がどのようなものだったかは定かでない。しかしながら、出雲には伝説の地が残されている。

国引き後、意宇の杜に杖を突き立て「おえ!(終わった)」と感激の叫びを漏らした。「出雲国風土記」はその声を記念してその地を意宇郡としたと伝えている。

さらには、国引きの記念碑ともいうべき意宇の杜について、出雲国風土記によれば「郡家の東北のほとり、他の中にある小さな丘がそれであって、周囲が14mばかりあり、上に木が茂っている」と記す。

推定身長500mの八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)からしたら、なんて小さい記念碑であることだろう。しかし、そういうところが八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)という神様の人柄を示しているような気がする。

八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)からすれば、つまようじの大きさにもならないほどのこの記念碑であるが、おそらく八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は満足そうに笑っていたのに違いない。少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、(おそらく)しゃがんで、この小さな記念碑を建てたであろうその姿がいじらしい。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、意宇杜(おうのもり)にもいらしてください。

顔を赤らめて八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)が出迎えるかもしれませんよ ♪

お待ちしています。



ゴゴゴゴゴッ

(この音は!?)


ヒトコトヌシ: うぇーんっ(涙)、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)、いい神様すぎるよぉ
ぼく: ほんとにそうですよね(しみじみ)
ヒトコトヌシ: やっぱり大きな神様は、心も広いねぇ
ぼく: そいうえば、ヒトコトヌシさんは身長はいくつなんです?
ヒトコトヌシ: ・・・・225センチ
ぼく: うそでしょ!
ヒトコトヌシ: ズバリ、一言いわせていただく!!
ぼく: はい、どうぞ
ヒトコトヌシ: 神様がアンドレに負けるわけにはいかんのだ!!
ぼく: (こころ、ちっちぇ)


こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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