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口伝鈔 第21章 「これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。」 ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。

おはようございます。 今日も一緒にお参りをいたしましょう!
Bom dia a todos! Vamos juntos rito matinal.
今日は観無量寿経です
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E8%A6%B3%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C


O Sutra da Contemplação da Vida Imensurável
http://jodoshinshu.com.br/budismo-terra-pura/sutra-da-contemplacao-da-vida-imensuravel/


No entanto, as mentes mundanas pensam, "até o fim, até que sua forma de vida presente está exaurida" também deve ser "uma ideia básica para esta religião."Estamos assumindo que a única ideia de Nembutsu meramente complementa o que convém às pessoas? Já isso vai contra a essência do Voto Original de Amida e vai contra o que Shakyamuni explicou.

DeepL翻訳
しかし、世間的には、「最後まで、今の生き方が尽きるまで」というのも「この宗教の基本的な考え方」であるはずだ。 念仏という一つの考え方は、その人に合ったものを補っているだけだと思い込んでいないだろうか。すでに阿弥陀の原初の誓願の本質に反し、釈尊が説かれたことにも反しているのです。

原文
しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこころうるか。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

すてがてらの
  そえものの。ついでの。(口伝鈔 P.910)
東本願寺聖典 ふりがな付き
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=674


現代文
 ところが世間のひとは「上は一生涯の間の念仏も宗の本意である」とおもって、そのような、数多く念仏を称えることのできないようなひとのために、本意ではないが、ことのついでに、一声の念仏ということを許すのである、と心得るのであろうか。これはすでに阿弥陀仏の本願にたがい、釈尊の言葉にそむいている。


歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)

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