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口伝鈔 第21章 「千里は足の下よりおこり、高山は微塵にはじまる」 ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。

おはようございます。今日も一緒にお参りをいたしましょう。
Bom dia a todos!  Vamos juntos rito matinal.
正信偈 Shoshingue p29
https://www.dropbox.com/s/yzwfdyup0v4wxn8/gongyo-shu.pdf?dl=0



Assim, pedindo ao Buda para nos acolher no final da vida através de vários Nembutsu e esquematizar para o Ir-nascer através do auto-poder produz dificuldades impossíveis. Haku Kyo92 escreveu:
"Uma viagem de mil li 93 começa debaixo de nossos pés; A montanha mais alta começa como minúsculas partículas de poeira94"
Do Nembutsu único nasce o Nembutsu múltiplo; Nembutsu múltiplo é construído a partir do Nembutsu único - ambos formam um todo que não pode ser dividido. As pessoas confundem frente e verso. A seguinte declaração transmite essa compreensão: "Nembutsu único através da soberba sabedoria do Buda leva o profano ao nascimento mais elevado. O Nembutsu de uma vida inteira de recordação através do Nome e do Voto retorna a bondade do Buda na vida diária."
92
Bai Juyi, 772-846

93
cerca de 3.927 quilômetros
94
Em [Hakushimonjū] Coletânea de Poemas de Bai Juyi


DeepL 翻訳
このように、様々な念仏によって人生の最後に仏に迎えてもらうことや、自己啓発によって往生を図ろうとすることは、無理な困難を生む。Haku Kyo さんが書き込みました。
「千里の長旅は足元から、最高の山は塵から始まる。
単念仏から多重念仏が生まれ、多重念仏は単念仏から作られ、どちらも分割できない全体を形成しています。人は表と裏を混同する。それは、「仏のすぐれた智慧による一念念仏は、穢れた者を最高の生へと導く」という理解である。名号と誓約による生涯念仏は、日常生活の中で仏の善を還元する。"

原文

 されば多念の功をもつて、臨終を期し来迎をたのむ自力往生のくはだてには、かやうの不可の難どもおほきなり。されば紀典(白氏文集)のことばにも、「千里は足の下よりおこり、高山は微塵にはじまる」といへり。一念は多念のはじめたり、多念は一念のつもりたり。ともにもつてあひはなれずといへども、おもてとしうらとなるところを、人みなまぎらかすものか。いまのこころは、一念無上の仏智をもつて凡夫往生の極促とし、一形憶念の名願をもつて仏恩報尽の経営とすべしと伝ふるものなり。

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

不可の難
ふかのなん
 のがれることのできないあやまり。(口伝鈔 P.913)

まぎらかす
  誤解する。(口伝鈔 P.913)

極促
ごくそく
 「時剋の極促」のこと。信を得、往生が定まった最初のとき。(口伝鈔 P.913)

経営
けいえい
Ⅰ 力を尽していとなむこと。(口伝鈔 P.913) 
Ⅱ 接待のために奔走すること。ここでは料理すること。ごちそうすること。(一代記 P.1307)
東本願寺聖典 ふりがな付き
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=674

現代文

だから 『白氏文集』の言楽にる「千里は足の下よりおこり、高山は微塵に始まる」と言っている。一声の念仏は多数の念仏のはじまりであり、多数の念仏は一声の念仏のつみ重なりである。共にたがいにあい離れないけれども、一は表で、他は裏の関係にあるのを、世間のひとはみな言いまぎらしているのであろうか。いまいうところは「一声の念仏にょってこの上もない仏の智慧を頂くことを、愚かなひとが浄土に生れるその瞬間と考え、その後の生涯にわたって、誓いを心に刻み、み名を称えてゆくことを、仏のご恩にこたえるいとなみとしなければならない」という心を伝えるものである。


白氏文集の言葉にも 『白氏文集』には「千里創(二)、足下(一)。高山起(二)於微塵(一)」とある。

ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/白氏文集

https://ja.wikipedia.org/wiki/白居易


歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)


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