手持ちの情報がデジタル空間にまとめられていく

前回の続きを少し。

昨年来政府の公文書管理がずさんであるとして問題となっています。森友・加計学園問題です。これについては私自身いろいろな場で書いてきました。その中で確信したのは、政府の公文書はいずれほぼすべてがデジタル化されるであろうことです。そして、続けて考え始めたのは、それは私たち一人ひとりの情報もやがてそうなっていくのではないかという予想でした。もちろんメモなど紙やら何やらに書くものや、彫刻や版画などデジタルにはならないものもあるのですが、その痕跡は何らかの形でデジタル化されるのではないかと思わざるを得ません。

このnoteもそうなのですが、少しずつそんな時代を先取りできないかと思い始めています。ビジネスでは、メモ類をデジタル化するといったメソッドがいろいろと紹介されていますが、そのようにして統合されていくと何が起こるかに興味があるのです。

一つは私たちの自分史は、デジタル情報を加工することで、いともたやすく編集されるのではないかと思います。自分に関するデジタル情報をAIに任せて加工すれば、面白おかしい自叙伝がいともたやすく生まれるのではないかと思います。

二つめにはその先に、歴史そのものがデジタル情報の加工で生まれかねない(すでに一部はそうなりつつあるのですが)とも思います。もちろん、その反対に、デジタル空間からこぼれ落ちたものを拾い上げることこそが歴史であるという見方も成立するわけですが。

そうした未来社会をどう展望できるか、考えるきっかけになるかなと思っています。

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