noteのこと

 んまあ、本業のプロットが組み立たなくて逃避しているようなものだが。
 小松パラさんがnoteを去ると知ったもので。
 ろくに推敲もせずだらだらと書き連ねてしまいそうだけど、書いておこう。

 去年みたいに、一年経って四月になってからふり返ればいいかな~と思っていたんだが……。

 私自身は、直接の「あ~。これかっ」という違和感はあまり感じてなくて(現状に義憤を抱いている人たちには、すまんです)、「なんかきな臭い」なあと思っていた程度なのだが(いずれ煮殺されちゃうのに気づかないカエルなのかもしれないけど)。

 私としては、去年noteでの一年を振り返ったときに思ったことはあまり変わっていない(読み返して思ったけど、あの頃も多少の揺れがあった時期だったのか)。更新は去年よりはだいぶ滞ってしまったが……。
 PATRONEの続編もまだ途中だし、「超時空薄幸児童救済基金」は書くのが楽しくて終わりなんて見えていないし、素敵な人たちとつながれたし、私にとっては、これらの全てをよそで再構築するのはなかなか大変なことだ。
 なにしろSNSなんて、あとはmixiとTwitterしかやってないし、ブログもやってない(基本的には人のブログもほとんど見ない)からね。

 だから大幅なシステム改変や、小さな有料コンテンツを展開している人たちを追い払うような決定的な何かが起こらない限り、ここでやりたいことを続けるしかないかな――という立場。
 mixiという「今では崩壊したかつての楽園」みたいなところで、何度も「ふざけんな! こんなとこやめてやるっ!」と義憤に駆られつつも、結局踏ん切りがつかずにいまだにメインの日記を書いてる身としては、ここでも、もう少し様子をみようかなあと思っている。
 でも、リンクした去年のテキストの後半で書いていたような「今のnoteが好きだなあ」ってのは、そう言えなくなってきた人がいるわけで……。
 だとすると、私も手放しで「居心地が良いなあ」とは言えなくなる。

 なにより、ここで知り合って、自分が「この人面白いな~。素敵だな~」と思っていた人たちの中に、noteの現状に幻滅して去って行く人が出るのは、さびしくて悲しくて、やりきれないことだ。
 ここが、彼らに見放されてしまうような場所に変わっていこうとしているのなら、noteはなんてまあ愚かなことをしているのか、せっかくここでじわじわと育ってきた何かを捨てちまうのかな……と、がっかりもする。
 押し寄せてきた、動くお金も人数も桁違いのなにかのほうが、noteにとっては魅力的なのかな。まあ、もちろんそういう一面はあるんだろうな。てっとり早くはあるしなあ。
 悪貨とまでは言わないけれど、この調子で幻滅して消えていってしまう良貨(こっちは間違いなく良貨なんだよ。私にとっては!)を見ているのは、たまらない。noteでの素敵なつながりが、ひとつまたひとつ消えていくとしたら、それは明らかに実害なのだから。愚痴のひとつもこぼしたくなる。
 これが進んで、ただでさえ数少ない私のマガジンの購読者の方々(ああもう、またしても長らくお待たせしてしまってすみません!)までが、noteに幻滅してやめていってしまったら、本当に本当に困るんですけど。

 初めに呼び込んだ(のかな?)有名人の人たちの多くは、あまり活動してないよね。彼らにつられてやって来た人たち(で、ここで他の何かを見いださなかった人たち)も、いなくなるか動きが止まってるよね。
 だったら、今回わーっと入ってきた人たちは、ある日突然、わーっといなくなったりしない?
 そのとき、誰も残ってなかったら悲しいな。



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