あのゲーム

 電源有りゲームと同等に、非電源ゲームにも愛着があるのは、中学2年生ぐらいの頃にシミュレーションゲームが流行りだして、はまる友人が多かったからだと思う。自分ではアバロンヒルのゲームなんかを買っていた。
 また同時期には、パソコンのゲーム(若い人には信じられないだろうけど、カセットテープでデータをロードするのだ。それも大型電気店に展示されているパソコンを、朝から並んで使わせてもらったりして)が流行り始めていて、そっちにはまっている友人もいた。
 私は面白いものならなんでも付き合うので、どっちにも引かれていたわけだ(とかいいつつ、メインの趣味は読書だったんだけどね)。

 だが、そうなる前の中学1年生の頃、私はノートにスゴロク的なゲームを作って遊ぶのを流行らせた(この、仲間内で非電源ゲームを自作して楽しむ――というのが私の趣味だと考えると、高校時代にはTRPG、大学時代にはバカカード……と、どこまでもそれが続いてるわけだけど)。
 そのとき、もんのすごい面白い双六ゲームを作った友人がいて、私はそのゲームにメチャクチャはまった。
 このSくんとは中1のときだけの付き合いで、今思うに、彼はかなりの鉄道オタクだったのだと思う。彼の家で「チャレンジ2万キロ」とかやった覚えがあるから。たぶんそうだろう。
 その彼が作ったゲームというのが、東海道五十三次のスゴロクだった。
 日本橋をスタートして、宿から宿へとサイコロの出目で旅をしていく。鉛筆でノートに丹念に書かれたマスと、東海道のルートの細かさ、また、旅人は各自が所持金を記録していて、随所でお金を払えば、「馬」や「駕籠」に乗ってスピードアップしたりできる。ばくちで儲けたりもできたし、峠で雲助駕籠につかまると大金をとられてしまうし、山賊なんかも出てくる。大井川などの大きな河は、足止めがかかって出目によってはなかなか渡れない。渡し人足の賃金をけちると、ひどい目にあったりする。たしか、海路を選ぶこともできた。泊まる宿も、木賃宿から本陣まであったりして、面白かった。
 記憶の中で美化してしまっているかもしれないが、それでも中学1年生が作ったにしては、かなり凝っていたはずだし、東海道五十三次を調べまくっていたはずだ。「東海道中膝栗毛」が小学校の頃から大好きだったこの私がはまったのだから間違いない。休み時間ごとに遊んで、まだ書き切っていないところまでたどり着いてしまうと、しつこく続きを催促して書かせていた。
 お店を買い取る要素こそないけれど、今考えると、かなり「桃鉄」っぽい楽しさのゲームだったのだなあ。

 このゲームは、「またやってみたいと思いつつも二度とできないゲーム」のひとつなのである。

#weloveGAME



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