『私立能都(note)学園』        ~教育実習生・間竜太郎の場合~その3

 えっと、さっきのイービルキャットの子、なんて名前だっけ……。

 そう思ってクラスの出席簿を眺めようとしている間に、予鈴が鳴った。
 担任の先生からは、朝と放課後のホームルームは実習生が受け持つよう言われている。
 急がないと……。
 連絡事項のメモを名簿にはさむと、ぼくは慌てて「被服準備室」を出た。
 二年生の教室は、この棟の三階にある。
 ぼくがいた被服準備室は、一階の隅にある小さな部屋だ。隣の被服室はミシンがずらっと並んだ広い部屋だが、準備室は事務机ひとつだけで、おまけに息苦しいほどせまい。職員室に近いため、長年、ここが実習生の待機室に使われているそうだ。
 被服室も被服準備室も最近はあまり使わないらしく、だったら広い被服室のほうを使わせてくれればいいのに……とも思うが、今年の実習生はぼく一人だし、あのだだっ広い部屋に一人でぽつんといるのも、それはそれで寂しい。
 といって職員室に机を用意されても、周りは知らない先生ばかりだ。人見知りの気があるぼくとしては、どうにも緊張する。せまくても、被服準備室で空いた時間を一人で過ごすほうがましなのかもしれない。
 母校の網星学園で教育実習を受けていたなら、先生もみんな知り合いだし、今ごろは、高校時代を思い出しながらのびのびしていたろうに……。
「けど、高校にいた頃に比べたら、今のほうがよっぽどましか……」
 こう言っちゃなんだが、ぼくの高校生活はかなりハードだった。
 色々と無茶な騒ぎを起こす「良心に恵まれない女の子たち」をフォローして、幾度となく悪の秘密結社から世界を救ってきた。
 だから、ごく普通の高校生を相手に普通の教育実習をするなんて簡単なことだ。授業計画やら実習日誌やらと面倒くさい作業もあるけど。悪の秘密結社の相手をするのに比べたらなんてことはない――。
 そう思っていたんだ。
 今朝、電車に乗るまでは。
 だけど……。
 能都学園に秘密結社って……? イービルキャットってなんなんだ!?
 しかも、うちのクラスに首領がいる?
 いったい、どうしたらいいんだ?

「おはよう!」
 声をかけて教室に入ると、席に戻る生徒たちの間から「おわおわーす」といった感じのあいさつらしきものが返ってきた。どこか、戸惑っているような感じの声が。
 しまった――。
 朝のあいさつは号令つきだった。生徒たちはみんな、「どうせ席についてからあいさつするのに、なんで?」とか思ったに違いない。
「きりーつ! 礼!」
 ぼくがおたおたしている間に、学級委員長の皆口さんが号令をかけた。
「おはようございます!」
「お、おはよう。そっか、そうだったね……」
 二度目のあいさつをしてうろたえていると、クスクスと笑い声がもれる。
「着席!」
 号令してから、皆口さんが軽くため息をついた。
 やれやれだ。せっかく今朝の電車では先生らしいとこを見せられたのに。
 彼女は学級委員長だし、イービルキャットの首領についてもう少しさぐりを入れてもらおうと思ってるんだけど……。
 と思いつつ、ちらっと後のドアに目をやると、担任の先生が廊下からのぞいていた。
 まずいな。今ので減点されちゃったか?
 いや、このぐらいの失敗は実習生にはつきものだ。気にせずにホームルームを乗り切ろう。
「えーっと、まずは連絡事項だね。今日は短縮授業です。放課後は校内の保守点検を行うので部活も全面的にお休みだ。お昼で完全下校となります」
 ぼくがメモを読み上げると、「やった~」とか「お~」と声が上がる。当然だろう。自習や短縮が嫌いな生徒なんて、この世にいない。
「なにか質問は?」
 一応聞いてみただけなのに、皆口さんがパッと手を挙げた。
「はい、皆口さん」
「保守点検って、部室棟もですか?」
 部室棟というのは、今いる教室棟や、理科室や音楽室などが集まった特別棟とは別にある、二階建てのプレハブ校舎だ。
「完全下校だからそうだと思……じゃなかった、そうなるね。生徒は全員、学校から出ないと」
 生徒相手には、このぐらい言い切っておいたほうがいい。
 もっとも、本当にダメなのかどうかは知らないので、あとで担任の先生に確認しておかないと……。
「そうですか。それじゃ、新聞部も今日は残れませんね」
 皆口さんが意味深なことを言った。
「きみは……新聞部なの?」
「ちがいますよ。でも新聞部って、いつも部室にいるから。放課後も遅くまでいたりするし」
「このクラスには、新聞部の子はいるのかな?」
 聞いてみたが返事はない。
 皆口さんも、小さく首を振った。
「うちのクラスにはいません。私は、ちょっと気になって聞いただけです」
 イービルキャットのこと調べないんですか? という顔で、ぼくを見上げる皆口さん。
「そ、そっか……」
 参ったな。彼女は、ぼくが今朝のことを積極的に調べると思っているのだ。イービルキャットのメンバーを見つけて注意する気だと……。
 冗談じゃないぞ。できれば関わりたくないんだから。
 ただ、そのためには相手のことを知って、逃げ方を考えておく必要がある。それだけなのに。
 ただ問題は……。
 このクラスには、秘密結社の首領が二人もいるってこと。
 もう一人の首領としては関わりたくなくても、教育実習生でこのクラスを任された身としてはなんとかしないといけないだろう。
 ああもう。どうしてこんな目に……。
「あ……では、出席を取ります」
 と、うやむやにしてホームルームを進めることにする。
 生徒の名前は、まだ憶え切れていなかった。
 名前を読み上げ、返事を聞いて名簿にチェックを入れるので精一杯だ。
 でも、この中に一人、気になる生徒がいるわけで……。
 名前はたしか……。 
「え~と、野々村……環さん?」
 野々村環――それが、電車内でコンビニ袋をかぶって顔を隠していたイービルキャットの首領の名前だった。
 皆口さんは、ピンクの髪の子だと言ってたけど……。
 そう思って教室を見回すと、窓際の席にいた女の子が「はーい」と気のない返事をした。
 なんと言うのか知らないけど、ポニーテールを右にグッと寄せたような髪型で……いや、それはべつにいいのだが、たしかに髪の色がピンクだ(校則違反じゃないのか?)。もっとすごいのは瞳が青いこと。カラーコンタクトってやつだろうか(これも校則違反じゃないのか?)。
 野々村環が、大きな瞳でジロッとこっちを見つめて言った。
「なに? ボク、返事したけど?」
「あ、いや、なんでもないんだ」
 慌てて出席をとるのを再開する。
 なんとか出席を取り終えたところで、皆口さんが「起立! 礼!」と号令をかけ、ホームルームは終了した。
「皆口さん、ちょっといいかな?」
 教室を出かけたところで振り返って声をかけると、学級委員長は食い気味に「はい!」と答えて、廊下までついて来てくれた。
「新聞部のことですね」
「うん。いつも部員が部室にいる――って、言ってたよね」
「昼休みとかもいるみたいですよ」
「ありがとう。行ってみるよ。今日は放課後は無理だからね」
「お願いします。悪の秘密結社なんて、やめさせないといけませんよね」
「ま、まあね」
 やめたくてもやめられない悪の秘密結社の首領だって、世の中にはいるんだよ――と言いたいのを、ぼくはグッとこらえた。

(たぶん、つづく)

※この後の有料部分「秘密結社でいこう! 番外編」は、いずれ書くかもしれません。それまで、このテキストは無料にしておきます。




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