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読書日記8 「自分の時間を取り戻そう」

 以前、職場で同僚から「自分は時間が無い。なのに、なぜ目的のない会議を召集するのだ」と強い剣幕で怒られたことがある。その頃、僕は何に対しても自信がなく、同僚を拘束して、意見を聴き、仕事をこなそうとしていた。しかし、度を過ぎた拘束回数に相手の堪忍袋が切れてしまった。時間は有限であることは十分に分かっているはずなのに、他人の時間となると気が回らない。ましてや他人の時間の残量など全く気にしていなかった。時間は誰にとっても貴重な資源だと再認識した経験だ。

 僕は工場の仕事が長いこともあり、生産性(稼働率)については一通り学んだ。しかし、自分の生産性となると、作業も思考も追いつかない。仕事に悩むだけ悩んで時間を棒に振ることが何回もあったり、残業で埋め合わせたりすることも多々あった。また、帰宅後は風呂に入って寝るだけという生活で、本を読んだり、勉強したりの前向きな行動はせず、スマホを見たり、自分を責めたり、頭の中で同僚を責めたりする、後ろ向きな行動しかできなかった。

 時間は有限と感じても、死生観を持つほど自分の人生の貴重性に慎重になることは少なくないのではないだろうか。僕はそれよりももっと身近な明日のことや、来週のことしか視点が向かず、来年のこと、10年後のことを考えると絶望感を持ってしまう。

 未来に期待できなくなったのは、いつからだろうか。自分の人生を自分が浪費していると感じたのは、いつだろか。人生で立ち止まることは何回かあった。しかし、惰性で動き続けていたように感じる。その時々は真剣に自分の人生を考えることができていなかったと思う。僕の場合は緊急性がない限りは、考えることを諦めてしまうのが悪い側面だ。

 時間は緊急性がないように思える。いつまでもあるように感じるし、あとからどうにかなると感じる場合もある。その局面ではどうしようもなかったと時間の浪費を受け入れない場合もある。僕にとって時間は制御できないものなのだ。だから、時間に対する切迫感が低く、堕落している。

 時間は間違いなく誰にでも平等な有限で貴重な資源だ。その時間を自分で制御できず、気づけば自分の人生が終わっているようなことは避けたい。もっとやりたいことや、やれることはあるはずだ。そのためには、自発的に自分の時間を制御できるようにしなければならない。

 本著では「生産性」をキーワードに、社会、業種、身近な仕事や家事に視点、視界、視座を変えながら、現状の生産性の低さを理解しつつ、変化の兆しのある事例から生産性の必要性を論理的に展開されている。
 特に自分の仕事に締切を設けて、自分を追い込み、自分なりに生産性の改善に努めることは、モノを対象にすることは糸口が掴めそうだが、自分の仕事や家事になると改善する自信が無い。
 それは自分を改善するマニュアルがないこと、自分が何が分からないかが分からないこと、生産性を上げながら手元の仕事をこなすのに諦めていること等が想像される。他人に厳しく自分に甘いのかもしれない。しかし、その甘さは自分の人生に帰ってくるのだと思う。仕事と自分の人生を両立できないと心身を狼狽してしまうと感じている。
 そのためには、自分の生産性を意識して一歩踏み出すしかないと感じた。また、自分のやりたいことを明示し、積極的に自分を鼓舞することも大切だと感じた。
 もっと効率的に人生を活性化しながら生きること楽しみたいと思った。

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