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読書の楽しみとは? 『自分の頭で考える読書』

 僕は著者が配信するVoicyチャンネルのファンだ。著者の温かみのある語り口が好きだ。その著者が読書について語ってくれた。

 読書はめんどくさい。活字の羅列が知らない記号のようで、薄っぺらい本でさえ鈍器のように重く、時間が無尽蔵に消えてしまうように感じる。本好きなら、消えていく時間も楽しみとして消化できる。スマホの短絡的な誘惑と比べると本は消化に時間が掛かる。その時間を引き取っても余るほどの時間的余裕がなければ、読書に目が向かないと僕は今も思っている。

 でも、それは自分の中で読書の優先度を下げているだけだと思う。スマホの誘惑は読書より効力があるのか実証しないまま、読書を判断の土俵に立たせていないと感じた。なぜならスマホの誘惑は短絡的ではあるけれど、一時的に劇的な快楽を味わうことができるからだ。

 しかし、その誘惑が自分にとって本当の幸せを残す形になっているだろうか。本当の幸せとは、知的な幸せであり、生き続けたいと思える衝動のようなものだ。振り返ってみても、スマホが僕に残してくれたものは少ないと思う。一方で読書は僕に何を残してくれるのだろう。

 読書は、本と読書の理解のうえで成り立つ双方向のメディアだ。本の活字や挿絵から読者が想像をふくらませ、あたかも目の前に実体があるかのように感じることができる。その想像が本同士を繋げるような感覚になると思う。著者の言う「本の余白」を読者が埋めていくことで、読者オリジナルの物語が紡がれていく。

 読書は先人達の知の結晶だと思う。読書は先人達の力を借りる事によって、自分を助けてくれる。また、自分の経験をより抽象化することで、読書体験を自分に引きつけることができる。自分が生きていて良かったと思える。著者は読書はエンターテインメントと言う。僕もそう思う。

 僕も本と自分の道を拓く旅を続けたいと思った。

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