涙の代わりに

こんにちは。noteではご無沙汰しております。その後、芸能事務所に所属したり、そのおかげでオーディションに行けたり、そしてお仕事をいただいたり、お笑いの大会に取り組んだり、勝ち上がれたり、落ちたりと、忙しく過ごしておりました。それでまた更新が随分あいてしまいました。。

こちらでは不妊治療の様子も発信していましたが、今日は久しぶりにそれについて書こうと思います。
不妊治療を始めて2年が経ちました。県や市の助成金とか保険に助けられながら、採卵手術を3回、受精卵の移植を5回行いました。

5回目の胚移植で初めて、妊娠をしました。安定期に入ったら報告をしようと準備を進めていました。つわりは、想像していたよりもずっとキツかったです。マジで。マジで。マジで。

妊娠三ヶ月のある日、妊婦健診で稽留流産と診断されました。赤ちゃんがおなかの中で亡くなっていたのです。「そのうち腹痛と出血があると思います。そのタイミングで赤ちゃんが自然に出てくると思います。出てこなければ流産手術を考えましょう。」と医師に言われました。しばらくの間、腹痛も出血もなかったので手術をすることにしました。

手術は思っていたよりも大変でした。一泊入院で、術後2時間で帰れると聞いていたのに、出血が多量だったことや、2時間後にもぐあいが悪かったこと等から(めっちゃ吐いた)、もう一泊入院することになりました。
赤ちゃんの心拍は止まっていましたが、胎嚢という赤ちゃんを守るためのお部屋は成長を続けていた為、出血が多量となったそうです。

退院後は子宮収縮剤と抗生物質を1日3回飲むのですが、この子宮収縮剤を飲むととんでもない激痛に見舞われました。市販の鎮痛剤が効かないので、病院に電話をしました。子宮内に溜まった血を取り除く処置をしてもらい、痛み止め(カロナール)をもらって様子を見ることになりました。
次の日、痛み止めが効かず、やっぱりどうしても我慢できないくらい痛むので、また病院に行きました。念のためCTを撮って、別の痛み止め(ロキソニンと座薬)をもらって帰りました。子宮に筋腫が多くできていたため激痛となるとのことでした。ロキソニンが効いたので、なんとか収縮剤の服用を乗り切れました。

手術から時間が経ち、ようやく体調が回復してきました。(最近まで過度の貧血で吐き気があったりフラフラしていました。)

悲しいことがあっても人前では明るく振る舞ってしまいます。今も強がりたいし、元気なふりをして、かっこつけたいです。でも本当は、とても悲しい、とてつもなくつらい思いをしました。
自分がみじめで、情けなくて、かっこわるく感じました。人の幸せを羨み、妬む時もありました。この歳まで好き勝手に生きてきた因果応報だとも受け止めていますが。

今後のことはまだ考えられていませんが、また動きがあったら書きます。

この悲しみを、せめて
いつか誰かへの優しさへと変換できますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?