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妄想日記(1):病院全体が文化センター

私の住まいのマンション、それも私の部屋の一階上に位置するICUで私を治療してくれた宇都宮健児似の医者は、その後私が移送されることになる同じ病院の院長でもあった。彼は京都学派の哲学の愛好者なのだが、この病院の様々な文化的企画を中心的に牽引しているらしい。[以下、承前。https://note.com/izumisz/n/n28d517966c1c。だから、殆どは入院中の妄想・幻想・譫妄である。]

私の入院している4人部屋からは廊下を挟んでタリーズが見え(実は、ナースセンター、但し、一階には本当にタリーズがある)、そのタリーズと病室とを隔てる廊下を様々なバス型の人力車が移動する——配膳車がそう見えたのだろう。その車の側面を私は見ることになるのだが、そこには絵画やLPのジャケットが沢山飾ってあり、日によってその内容が異なる。或る日は、パンタの『走れ熱いなら』とそれに似たジャケット——金色をバックに黒い写真やイラスト、ギーガー調と人は言うかも知れない——が無数、いや16枚程度、飾ってあった。何かの搬入をしているようだ。そして、或る日は、誰のかは思い出せないのだが、ライブ・コンサートが開催されるようだ。

文化的企画はこの方面に留まらず、講演会も開催される。私は、講演会そのものに参加してはいないが、講演会の目的のために病院を訪れた中国人のマルクス主義の活動家・理論家——戦時中に活躍したということなのでかなりのお歳——が、お連れ合いさんと共に、講演会前に私の病室の隣の広い部屋のベッドで休息。ベンヤミンらとの理論的呼応に関する質問を考える。

タリーズ、もしかしたらドトールは、夜になると、病室から見て左上の壁に小さな枠・スクリーンのようなものが出現し、映像が映る。私の連れ合いが少し扇情的に踊ったりする一方で、マキノ映画が上映されたり、音楽も戦前の日本映画らしいものが流れる。レジには女性の看護士さん(?)がいて笑っている。

夕食は、Uberか何かで注文してもいいようで、カレーを注文すると、どういうわけか土田晃之が配達してくる。お金を所持していない私は、タリーズ=ナースセンターにつけてもらおうとするが、カレーは食べられず、いつの間にか和風のカレーうどん屋に変わったしまったタリーズが活用し、カレーうどんにされてしまう。(次回は、初めて目覚めたときのICUの部屋について)

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