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生と死の狭間で

家族、ごく少数の大学の同僚、ごく少数の仕事関係者以外には知らせていないのだが、昨年、7月2日に階段から転落し、文字通り生死を彷徨った。外傷性のくも膜下出血で一週間よりは短い期間集中治療室、同月26日まで急性期の患者として入院、それから、9月6日までリハビリ専門病院に入院、同日退院したが、翌日に外傷性慢性硬膜下血腫が見つかり、即日手術、15日まで入院した。現在は、リハビリ専門病院に通ったりしているが、基本的には支障なく日常生活を送っている。
 と記すと、なかなかにおどろおどろしいが、とても運がよくて、場合によっては、半身不随や言語障害などもあり得たのだが、幸いにして、後遺症は短期記憶や注意に関わるものが若干残る程度。恢復自体も早く、7月末から学生の博論の草稿の添削を行ったり、現在進めている仕事との関係で『聖書』全体を読み直す作業を始めることが出来た。また、たまたま、一年間サバティカルだったので、職場にはそれほどの迷惑をかけずに済んだ(と思う)。
 しかし、集中治療室に一週間ほどいたことは事実で、この間、意識はなかった。一時、かなりやばい時期があったようだが、まさに向こう側から戻って来られた。ずっと付き添ってくれていた連れ合いの言葉によるなら、もう少しこの世にいさせてあげて欲しいという(亡き父母への)祈りが通じた、ということのようだ。何が生じたのか分からなかった本人は、後で聞いて震撼した。
 入院していた間、そして、リハビリの過程で考えたことは沢山あるが、大病をされた方はそれぞれに考えることがあるだろうから、その一つ一つをここに記す必要はない。
 ただ、意識を取り戻してから一週間程度、譫妄・妄想が酷かった。それこそありありとした譫妄・妄想を見続けたのだが、面白いので記憶が鮮明なうちにと思い、8月に詳細なメモをとった。これは公開する価値があるように思う。
 もう一つ、どこか別の世界から帰還した、という感覚を初めてもつようになった。これにどのような意味があるかについては考えてみたいと思う。
 この二点について、時間が許す限りでノートを公開する。

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