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風早ハ兎文一茶両吟/門前やの巻
01
相見して
門前や何万石の遠かすミ 一茶
発句、寛政七年正月兎文の屋敷を訪ねた折の挨拶。
〇
相見して 「互いに会って」と、歌仙張行の経緯を記す。
門前や 門前は一茶の庭褒めのことば、兎文の家構。「や」は切れ。
何万石の 映像は切りかわり、山の向こうにある御城下へ。
遠かすミ ほのかに、とほ霞が、、、、、。
〇
しやうけんして
もんぜんや/
なんまんごくの とほかすみ
風早郷の兎文への挨拶、さらに転じて、松山城下を前にした一茶の<高揚した気分>を句にしていたのです。
〇
それだけに、上五「門前や」は、八反地村の家構を云う許でなく、こちら側と向こう側との境界を示していたことが分かります。
思えばそれは、道前、関前、峠、瀬などで、旅の平安を祈願していた古の人々がいたように、越境することの緊張を幾分なりとも鎮めようとする気持ちが働いていたに違いありません。
〇
北条は松山と云われても、それはそれで間違いではないのですが、風早は松山の手前だったのですから。
一茶は、兎文の家で元気を得て、松山入りに臨んでいたというわけなのです。
近代になって、子規の句がありました。
春や昔十五万石の城下哉
24.9.2023.Masafumi
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