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仕切り直し樗堂一茶両吟/藪越やの巻

     一

  田家
藪越や御書の声も秋来ぬと  一茶

寛政八年七月、松山の樗堂を訪ねた一茶は「藪越や」の歌仙を巻いた。季題は「秋来ぬ」で秋立つ、巻末に「丙辰初秋会」とありました。

     〇

田家 俳誌にみられる句の部立て、農村の風景や人事が類聚されていました。ここでは、発句の前書きであるとともに、歌仙の表題として記されていました。

藪越 寄与せでは、春秋の「藪入り=破り」があり、「藪過ぎ=破りの後」といった語感を強調した珍しい語彙です。

御書 書にノリのルビ、ミノリと読ませていました。「御書の声」で盆にみられるさまざまな仏事を思い浮かべていたのです。(歌仙式目では、初表に神祇釈教の句は避けていましたので、御書にあまりこだわる必要もなさそうです)

秋来ぬと 御書の声も秋来ぬと、秀歌の調べのように、「も」と「と」の助詞が効いてます。

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春秋二期。

列島の民俗行事は盆と正月によって一年を二期と数えていました。

思えば、寛政七年の樗堂一茶両吟歌仙は正月に巻かれ、そして再び、寛政八年に巻かれたこの両吟歌仙は盆の薮越が立て句だったのです。

一茶には秋立つの句がほかにもいくつか遺されていました。

丘の家秋きぬらし笛を吹  文化句帖
息才に秋と成たる草葉哉  七番日記

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発句は季節の挨拶です。そして、歌仙では亭主への懇ろな挨拶が不可欠でした。

ここでは、旅人一茶が樗堂に対して宿乞いの挨拶をしていたとみれば発句が一層鮮やかとなります。

<藪入り>は、元々の意義からすれば親元に帰ることです。例えば、一茶の営みが旅にあったとすれば、その帰るべき親元は<信州>の筈なのですが、何の因果かそれが叶うことがない。旅の最中、「親元」あるいは「ふるさと」のような存在として、伊予の松山の俳人を頼りとしたいとの願いは切実だったのです。

さらに、一茶は初めての撰集「たびしうゐ」のなかで強く「東」「武蔵」を意識し、その営みを江戸に移そうとしていました。これも又、何らかの事情によりそれが叶わない。よるべなき旅の憂さを漂わせながら、ままならぬ俳歴のいきさつを、松山の人々にあれこれと語っていたとしても不思議ではなかったのです。

盆が過ぎてもまだ<親元のよう存在>に頼らざるを得ない一茶の心情を上五<藪越や>の切れで示す。

これが歌仙の発句だったです。

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おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 
盆が早よくりゃ早よもどる              五木の子守唄

18.8.2023.Masafumi.

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