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とくとくの水麦士一茶/梅の木のの巻

Berjaln-jalan, Cari angin.
     20

指艾もくさを晒すきさらきや
 五百の銭に母の野おくり         麦士

名オ二句、手慣れた老士の剣捌きの如くに。

     〇

五百の ごひゃく・の、サシモにゴヒャク、語呂合わせ。

銭に ぜに・に、法要かたがた要した費用。

母の はは・の。

野おくり の・おくり、葬儀、葬列。

     〇

さしもぐさ もぐさをさらす きさらきや

 ごひやくの ぜにに ははの のおくり

前句もぐさに、<薬効かいなし>と野辺送りの句を付ける、しかも「母の」の一語は、余程手慣れた<使い手>でなければ句にはなりません。

     〇

歌仙という文藝が、付け筋を重視するように、近代の剣道でも。例えば、以下引用です。

 大学の地下室では男たちが闘う。ゆったりした衣服を着、革の道具を身につけている。見るため隙間がある鉄の面を頭からかぶっている。壁はひえびえとしている大きな道場の床に男たちは座っている。やがて中から二人が立ちあがった。彼らは爪さきだって歩き、向いあって進む。右腕を高くかざし、腕のさきは竹の細片でできたまがいの刀を持っている。面と向いあうと、刀を頭上にふりかざしたまま立ちどまる。やがて、突然、絶叫をあげて腕をふりおろし、相手を叩く。頭を、肩を叩き、腕をはらい、飛びあがり、ふたたびもとにもどる。野獣のような絶叫は地下の道場にこだまする。突如、闘いは始められたときのように終る。ふたりの男はひきさがり、胴をとり、面をはずす。彼らは壁のそばに行って座る。

ル・クレジオ「旅行記」『逃亡の書』望月芳郎訳

と。(訳者によれば、1967年3月25日、中央大学二号館地下の剣道場)

     〇

さてや、松山藩士の剣筋や如何に、といったところです。

9.11.2023.Masafumi.

余外ながら、そのころ、私は国学院大の体育館で剣道の授業を履修していました。
フランスの授業はカミュの異邦人でした。その冒頭に

 Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. J’ai reçu un télégramme de l’asile: «Mère décédée. Enterrement demain. Sentiments distingués.» Cela ne veut rien dire. C’était peut-être hier.
 きょう、ママンが死んだ。 もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム。マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。

と。

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