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とくとくの水麦士一茶/梅の木のの巻

Berjaln-jalan, Cari angin.
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夜を込て柱をけつる秋の月
 余処のけんくわを語うそ寒       麦士

名オ十二句、あしらい(会釈)の美学、名残り表の〆句。

     〇

余処の よしょ・の、よその。

けんくわを 喧嘩・を。

語 かたる。

うそ寒 うそ・さむ、薄寒、なんとなく感じる寒さ、季節は秋。

     〇

よをこめて はしらをけつる あきのつき

  よそのけんくわをかたる うそさむ

月みる人もさまざま、あれよこれよと言い張ったとて、所詮<喧嘩も他人事>。うふふ、唇寒しといったところでしょうね、と軽くいなして、あしらっていたのです。

     〇

名残り表は、一茶の打ち込みに、麦士が応じていたのですが、その麦士の付け句は老練にして洒脱、一貫して<あしらい(会釈)>に徹していました。打ち込みの長句には、その付け句予測したり、ときには「こう付けて欲しい」と希こともあったのですが、この歌仙での運びはいずれも予測値を離れたところに着地させていたのです。

連歌論などむつかしいことを持ち出しても仕方がありません。ここは、あくまで実作に即して云いますと、芸能のそれに限りなく近い応対なのです。能では相手方の方に体を向けて、互いに気持ちを通わせることをいいます。あるいはまた、拍子の合わない謡に鼓や太鼓で合わせたり、鼓や太鼓に拍子の合わない笛の伴奏にも、この用語が使われていたのです。

こうした藝能は、心身ともに一定の修練によって体得できるものです。師匠についたり、共同で学習し体験を重ねることで、どうにか取得できた技量のひとつだったのです。柳田国男は水利慣行のことを「水の手」と云いました。水番にも上番、下番があり、知識や技量が伝えられていたように、若い衆は、いつでも老人たちに体よく会釈れていたのです。

一茶は麦士の会釈に耐えていました。

SNSなどでは、「あしらい」それってパワハラ ? なんて、云われかねないご時世なのですが、、、、

     〇

梅の木のの巻  名残り表七句~十二句

   (雜) たまされて仇待したる蓬生に     茶
    雑   烏帽子引さく思ある哉       士
   (雑) 調伏のわら人形のあゆむ時      茶
    雑   燭の影ちる大瓶の水        士
  月 秋  夜を込て柱をけつる秋の月      茶
    秋   余処のけんくわを語うそ寒     士

11.11.2023.Masafumi.

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