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歌ヲ聞キ乍樗堂一茶両吟/降雪にの巻

En écoutant la chanson......
     04

宵灯魚の油の曇して          
 春めく風呂の月しづか也         一茶

初オ四句、風呂から見た月だったのでしょうか。

     〇

春めく はる・めく、春らしくなること、蛇笏「春めきてものの果てなる空の色」がありました。

風呂の ふろ・の、「居風呂」のこと。(伊予では底板を踏み沈めて入る「五右衛門風呂」が多かった)

月 つき。

しづか也 閑なり、静かなり。ひっそりとしているさま。閑静とも。「なり」は断定の意を表す助動詞。

     〇

よひともし うをのあぶらの くもりして

      はるめく ふろの
      つき しづかなり

燈しに月で応じ、春めく風呂で季節を移しながら、歌仙の運びからすれば月の座をひとつ引き上げていたのです。

     〇

風呂に

近来ハ母老年 殊ニ血証ニて 手足身体疼痛御座候て 自由相遂ヒ難 折々浴湯仕候得は快気ヲ覚候故 居風呂ヲ好ミ申候 依之遠近ヲ不択 風呂焚候家御座候得は 自身負行入湯為致
「鶴亭日記」文政九年(1826)

と。

近代にも

三言とは呼ばれもせず帯より先に襷がけの甲斐々々しく、井戸端に出れば月かげ流しに残りて、肌を刺すやうな風の寒さに夢を忘れぬ、風呂は据風呂にて大きからねど
「大つごもり」 樋口一葉

などと。

     〇

なお、<すゑふろ>は誤り、<すいふろ>では ? と云い始めたのは、どうやら柴田宵曲あたりらしいのです。

橋本経亮などは、塩浴場に対する水浴湯ということから起ったので、居風呂(すゑふろ)という名は誤だろうといっている。いずれにしても現在われわれの入るのは水風呂のわけである。
柴田宵曲「古句を見る」

さて、いかがなものか。

27.10.2023.Masafumi.

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