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樗堂一茶両吟/蓬生の巻 9

   火打入へき革袋ぬふ
  早苗饗の日と契たる中なれハ       一茶
 初ウ三句、俗語が醸しだす味わいのある戀の句。
     〇
  早苗饗の
   サナブリのルビ。さーなえーぶり、田植えが終わったあとの宴会。「さ」は、五月、早乙女の「さ」と同義、田あるいは稲の<かみ=神>を指す民俗語彙。
  日と
   特定の<日>。ハレの日の饗宴。
  契たる
   契りを結びました、と。「たる」で完了形。
  中なれハ
   二人は「ソウイウ中ダッタ」のですから。
     〇
 ひうちいるへき
 かはふくろぬふ
 さなぶりのひとちきりたる/なかなれは
 前句は縫物をする女、手渡す相手の男は<あのとき、契り合うた仲だった>のですよ。と、一茶の付け句は、戀の句になっていました。
     〇
 「早苗饗」の詞がよく利いた恋の句です。
 樗堂など松山連中から聞いた詞を、いち早く歌仙行に投げ込んだところに<妙味>があったことでしょう。さなぶりは、まるで古語のような詞ですがれっきとした俗語だったのです。だから、和歌、連歌、にはありません。俳諧でも稀、むしろ<他に類例はないかもしれない>というレアーものの句だったのです。
 例えば、早乙女という詞でさえ、和歌ではごく稀なことで、連歌・俳諧になってようやく多くの人が句にするようになっていたのですから。
     〇
 このことに関連して少しばかり。
 「さをとめ」の初見は、永承六年五月五日(1051)
  さをとめの-やまたのしろに-おりたちて-いそくさなへや-むろのはやわせ
◇『内裏根合』
     〇
 次に、永久四年四月四日(1116)六條修理大夫こと、藤原基顕季の歌に、
  たねまきし-やまたのなへや-おいぬらむ-しつこころなく-みゆるさをとめ
◇『鳥羽殿北面歌合』
 この歌は、後に保安四年(1123)ころ、
  たねまきし-わさたのいねや-おひぬらむ-しつこころなく-みゆるさをとめ
◇『六条修理大夫集』
 さらに、延慶三年頃(1310)には、
  たねまきし-やまたのなへや-おいぬらむ-しつこころなく-みゆるさをとめ
◇『夫木集』
     〇
 やや下って、文明五年(1459)あたりの正徹の歌になりますと、ようやく連歌、俳諧に近いものになっていたのです。
 小乙女かもすそのみしふしはしみて湊の小田にとるさなへかな  
 苗代の水の蛙のうたかたにこぬさをとめのこゑならすなり
◇『草根集』
 日文研の和歌データベースでも「さをとめ」は僅か18例しかヒットしないのです。
     〇
 許より「早苗饗」は皆無。この語が句になり始めたのは近代以降のことだったのです。
■画像は、「早苗饗」ほか。

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