歌ヲ聞キ乍樗堂一茶両吟/降雪にの巻
En écoutant la chanson......
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馬糞搔吹もどされし村雨に
茨はらはら散らす麦縁 樗堂
名ウ四句、花前にはらはら「なんとやるもんじゃなもし」
〇
茨 いばら、花茨。
はらはら 縦書きだと「はらく」。
散らす ちらす、<はらはら+散らす>
麦縁 むぎべり、麦秋のころ。
〇
ばふんかき ふきもどされしむらさめに
いばら はらはらちらす むぎべり
次句に花の定座が控えている、歌仙では「花前」と云い、心得なければならないことがいくつかありました。例えば、植物の句は控えるようにと教えられていたのです。にもかかわらず、樗堂は茨の句を詠み、しかもハラハラと散らしていたのです。
〇
それは、何故か ?
理由のひとつは、前句に「馬糞」があり、これを払拭しておく必要があったからです。それにはうってつけの秀歌がありました。
からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自 忌部首 (万葉集)
これで、前句を遠ざけ、しかも、この句の茨さえ<刈り除き>そして<散らして>いたのですから。
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さらに、もうひとつの理由は、花茨が麦の収穫を喜び寿ぐ招代(おぎしろ)だったことです。伊予では「麦褒め」の予祝儀礼があったように、茨は収穫の喜びを表す花のひとつだったのです。
いばらさく墻にとなりて麦うれぬ 蛇笏
麦やせをおろそかに畑薊かな 碧梧桐
名オ月の定座の「月前」は穂積の祝言、ならば名ウ花の定座の「花前」は麦穂の祝言と、畳みかけていたのですね。民間伝承を丹念に読み解いていた森正史は、松山の桑原あたりで麦褒めに「「麦がようできた、ようできた」というのであるが、しまいに屁をひって帰ったということだ。」と、「愛媛県史」民俗編(上)に書いていました。
〇
それも、これも、いずれも歌仙という文藝の<付け筋>と<運び>が齎す「妙技」だったということなのでしょう。
句に
濤見て来しこゝろの揺れを野茨散る 斌雄
野茨の色の口紅選ぶ朝 康子
と、ここは俳誌「麦」の師弟で。
3.11.2023.Masafumi.
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