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サイレン 2 『サイレン』

「長いメールだね。」
 とサイレンが言った。
「メールじゃないよ。ライティング。」
「ライティング?て何?」
「書いてるの。」
「何を?」
 と言われると困る。私は日常的に書いている。思いついたことを思ったその時に書けるように、いつも携帯メールを使って書いていて、溜まったらPCアドレスにメールして保存している。だからといって、そんなに意味のあることを書いているわけではない。どちらかといえば意味のないことばかり書いているのだ。
「何って…。うーん、文章!」
「文章?」
「そう、文章。」
「ふーん。」
 サイレンは何故か不服そうな顔をした。実はこのとき、後々明らかになる私とサイレンの譲りようのない嗜好というか偏執が初めてぶつかった瞬間だった。まったく相容れない二人の生きることに対する行動論が、このとき初めて明確にぶつかったはずだったんだが、このときの二人はまだそんなこと知りようもない。
 気まずい時間が流れた。私は知らない人とずっと長い時間沈黙していても構わないんだけど、サイレンはどんなだったろう。
 突然サイレンは言った。「俺って順当な人生だったんだ。」
「何が?」
 何なに。急に何を言うの、サイレン。
「俺ってさ、今まで生きてきて悩みらしい悩みが無かったんだ。糸尾さんち何人家族?」
「うちは…、うちは大家族。」
「もまれた感じ?」
「うん。もまれた。叩かれた。貧乏だった。」
「ふうん。いいよな。そういうのいいよな。俺の家、全然そんな感じじゃないんだ。むしろ反対だな。順風満帆な家庭だったんだ。いや、今でもそうだけど。俺お父さん県庁職員でさ。お母さん専業主婦で料理上手くて公民館で料理教室開いたりしててさ。5こ上のにいちゃんと2こ上のねえちゃんがいてさ、遊ぶとことかおやつとか取り合って育てられた。盆と正月はおじいちゃんからこづかい貰ってさ、誕生日とクリスマスは豪華プレゼントだしさ。テストの点悪かったらおやつ抜きだったしさ。」
「ザ・ふつうって感じだね。
「そう!そうなんだ。これはこれで恵まれてるよ。分かってるよ。ありがたいことだよ。だけどさ、そこには破れ目や遊びがないんだよ。何も硬直してないんだけど、何か硬直してるんだよ。上手くいえないんだけどさ。」
「うん、なんとなく云わんとしていることは分かるよ。」
「中学入った春にさ。もう心底焦ったんだ。なんだ。俺の人生って何なんだって。上手く行き過ぎててものすごく焦ったんだ。」
「中1でそこに気付けたらおおものだね。」 サイレンは頷いた。
「でも俺的にはすごく行き詰ってたんだ。俺はこのままずーっとこんなふうに順当な道を進んで、でお父さんみたいに役場務めしたりすんだろうか。おれはそれで本当にいいのかって。それで俺学校行くの止めたんだ。」「え!?学校行かなくなったの?」
「うん。中1の5月から3年間、ずっと家に居た。」
「それは。さぞや周りのご家族がびっくりされたんじゃない?」
「そう。まさにそうだった。お父さんもお母さんも先生も。小学校まで俺、どっちかっていうと学校好きだったからな。なんの問題も無く迷いも無く学校通ってたんだ。当然ものすごく怒られたよ。なんでだって。何があったんだって。苛められてんじゃねえかとかって。お母さんはパニクって連日いろんなセミナーに通うしさ。妙な神社に一緒に行けとか言うしさ。なんで急に学校行かなくなったんだって毎日聞かれたよ。でも俺は上手く説明出来なかった。そりゃそうだよな。親にしたら何でだって思うよ。お父さんたちにはなんにも悪いこと無いんだから。必死で育ててもらったのにな。でも、だからそういう、自分のそこに初めて疑問感じたんだ。このまま家庭にどっぷり甘えて、俺はこのままでいいのかって思ったんだ。だから学校行くの止めた。」
 それで家庭に引きこもっているんなら、それ自体が親にどっぷり依存してると思うけど。
「学校行かずに何やってたの?」
 私は聞いた。ライティングの手は、もちろん止まっていた。
「毎日毎日絵描いてた。俺はこの道でやっていく人間になるんだ。絵で食っていくんだ。そう思って毎日自分の部屋で絵、描いてたんだ。」
「ふうん。」
 なんだ。それじゃだいたい私とおんなじじゃないか。絵か文字かという違いはあるんだけど。
「でもさ。分かっちゃうんだ、3年も毎日毎日一人で描いてると。」
「何が?」
「うーん。俺は到底この道でやっていける人間じゃないなってことがさ。努力はするんだ。もちろんさ。でもそれだけじゃないだろ。なんかあるだろ。もっと重要なもんがさ。」
 うん。分かる。分かるよ。
「だから引きこもり3年目でもう決定的に分かっちゃったんだ。こんなことしててもダメだなって。だから引きこもりも止めた。15歳の春にもう一回中一から学校やり直したんだ。」
「と、いうことは、サイレン今23なの?」
「そうだよ。俺みんなより3年遅れてるからな。」
 それでなんだか老けた人だなと思ったんだ。それにしてもすごいな。何がすごいってわけじゃないんだけど、「サイレンって、すごいね。」と私は言った。
「すごいのかな。」
「うん。生きることに対するヴィジョンが半端ないと思う。そしてそれを現実に行動に移せるのがすごいと思う。普通はそういうの思っててもやらない。」
「やらないのか?」
「うん、やらずに、悶々としながら生きていくんだと思うよ。」
 その点サイレンはすごいよ。と思った。
 うおお。とても面白い人だ、と私は感じたのだ。私は、さっきまでの苛苛なんていつの間にか消し飛んでいた。なんて面白い人だ。それに比べたら私の苛苛なんて風で消える靄の様なものだ、と思った。絵の具は乾いていたかもしれないけど、私もサイレンもなんとなくその場から動こうという気がしなかったのである。

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