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森と雨 10

 もう一回読んでよ、とねだったら、ゲンゴはまったくもう、と言って深い息を吐いた。
「お前。なんで呼びつけるのが俺なんだ。レアンを呼んでやれ。あんな奴でこんな俺でももういい加減見てて情けない」
 と言いつつ、気に入っている本らしくて嬉々として朗読しようとする。血のつながった兄妹同士で愛し合ったために島流しになって、結局自殺してしまう二人の物語を。
「だからあんただって、呼ばれてのこのこ来なきゃいいじゃないの。何よ。むいちゃんまで派遣してさ。仲がよろしっくていいことね」
 ゲンゴは本を持ったまま、呆れるというか困惑して私を見ていた。
「やっぱりやめる。こんなもん読むな。その位だったらレアンの話聞いてやれ」
「聞いているわよ。しょっちゅう押しかけてくるんだもん」
 夏休みが終わってしばらくたった秋の始まりで、まだテスト期間には遠いしなんとなく学校全体がしまりなく、私も自身もしまりなく、つい講義をさぼり、ゲンゴを呼びつけていた。
「ねえ、ゲンゴのおやごさんってどんな感じだったっけ」
 私はベッドの上でごろごろしながら、やはりベッドに腰掛けて一人で古い物語を読んでいる友達の服を引っ張った。なんだよ、とゲンゴが言う。
「うちの親? 前に話したことなかったか」
「私は記憶力良くないもの。忘れちゃったわよ。どんな家であんたは大きくなったの」
「どんなも何も。お父さんは仕事ばっかりしててそれで年にひと月は休み取って作画旅行にいっちゃうような人で、お母さんは適当に働きながら執筆活動して小遣い稼ぎしてるような人で、要するに絵画オタクと言語オタクなんだよ。お父さんがじゃんけんで勝ってたら俺の名前はゲンゴじゃなくてカイガになってたはずなんだ」
「じゃんけん?」
「両親はそれぞれ、生まれてくる俺の名前を考えていて、じゃんけんで勝った方が命名しようって話してたんだと。だからまあ、そういう適当な両親だ」
「ふうん」
 きっと、そう言うのは普通の、普通と言って間違っているなら、理想的な家庭なんだろうなと思ったら、うらやましい、でなくゲンゴがそういう環境に生きてこれたことを、友達として良かったなと私は考える。
「暖かい家庭というやつですね」
「ああ? そうでもないぞ。俺はお父さんの記憶がほとんどないし、まともに口を利きだしたのなんて中学くらいからだし、お母さんは父親にぞっこんだから俺の事なんて眼中にないし。おれはじいさんばあさんと従兄たちに育てられたんだ。だから、先々が心配なんだな」
 急に遠い目をしながら言う。
「何が」
「こんな俺でも家庭を持てるだろうか」
 こいつはもうこんなことで悩んでいるのか。私は、ゲンゴもゲンゴなりに迷いとか悩みを抱えているんだ。そんな当たり前のことを今まで気にしてこなかった、自分も思った以上にうかつだ、と感じていた。私だって充分バカの部類なのだ。友達は私のことを気にかけてくれる。後輩でさえ心配してくれている。そんなことを、改まって考えないと気付かないなんて。
「うちは酷い家だったわ」
「言ってたな。お兄さんがヤンキーだったんだっけ」
「兄はどうだっていいわ。問題は親よ」
 私は兄の最期を思い出していた。兄も、私が生まれたころ、幼稚園から小学校に入るような時までは両親のいうことを良く聴く優等生だったそうだ。宿題だけじゃなくて塾にも通っていたし、習い事もいくつかしていて、どれも一生懸命だったと親戚の小父さんが話しくれた。
 本当に、いいこだったんだぞ。と、泣き続ける両親をゴミを見るみたいな目で見ながら、腕をくんで、お茶を運んで行った私に話してくれた。
「成績もよかったし、スポーツの神経もよくて、これは将来どんな立派な人間になるだろうかとみんなが楽しみにしていた」
 でも、どんな人間にもならなかった。兄はある日壊れてしまったんだそうだ。急に学校を休んで、それからサボり組の連中とつるむようになって、学校から注意が来たけど無視して万引きや痴漢を繰り返すようになって。豹変したんだそうだ。私は十歳かそこらなのでそんな兄の記憶はない。
「なんでこんなことになってしまったかな」
「親が悪いんですよ、親が」
 別の小母さんが私の前で堂々と言ってのけた。あんな親の子に、何を言ったってかまわない、そんな口調だった。兄の蛮行は近所に知れ渡っていたので、そのために親戚や従兄たちもかなり迷惑をこうむったのだそうだ。ある子なんて、高校入試の推薦を受けようとしたら、うちの兄の存在を指摘されて、危うく推薦を落としそうになったと聞く。うちの家族は恨まれていた。

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