嫌いなものの話。
昨日は好きなものについて考えたお話だったのですが、今日は再び反転してもう一度嫌いなもののお話です。
こういう風にかわりばんこに好き嫌いに関して考察していくと、自分は果たして人が好きなのか、人間は好きなのか迷いだしてかなり怖くなるのですが、ともかく今日は嫌いなもののお話です。
ご近所付き合いが嫌いです。
もっというと馴れ合いが嫌いなのかもしれません。私が好意を感じるのは魅力的な言語を発してくれる人です。つまり、意味のない言語を放つ人と言うのは、ちょっとごめんこうむりたい。そして往々にして限界集落の年寄りと言うのは3歳の幼児よりもさらに意味のないことを話すものです。
これは私が暮らしている村の話なので、他所の地域ではどうだかわかりませんが。とにかく、
「だいぶ涼しくなりましたね」
「何でだ!?」
みたいな入り口も出も出口もない会話を持ちかけられるのに、ほとほと嫌気が差しているのです。
今日は地域の納涼祭で、そもそもそんなことをする意味がわからない。資金は市から出ているようなのですが、そんなことに使わせるくらいならもっと他に有意義な投資がないものかと思ってしまいます。
ビールサーバー借りてきて焼きそば作っておやつ買ってきて子どもにジュースのまして、余興でおじさんバンド呼んできて。
普段顔も合わさないような人たちが、とりあえず同じ席について社交辞令の流しあい。
嫌いなんですこういう時間の使い方が。
せっかくの空間、せっかくの時間なので、意味のある使い方をしたいのです。既にお互いが知っていることに対して言語を交換しあうだけの時間はものすごく不毛に感じてしまうのです。だから嫌です。
地域の助け合いと言うのは、有事の際にとても大事だと思います。だから普段から親睦を深めておこうというのは、まあわかる。
しかし、災害のときに瞬間的に協力し合えない地域なら、
そのまま滅べばいいような地域だと思いませんか?
人口以上に精神が限界に達しているんです。やがて消えてなくなるのなら、同じことだと思うのです。
とにかく、魅力的な言葉で語ってくれない人と同じ空間を共有することは私にとってとても不遇な体験です。今日はそれをしました。とても嫌だった。
身近にいるたくさんの人が、もっと意義深く注視すべき言葉で語ってくれたらいいと思うのです。そのためには、私ももっと努力しなくてはならないのかもしれません。
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