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雨の国、王妃の不倫 13

駄目駄目駄目、
駄目なのだ、直井くんが鋳なくなると困る、私は困る、あの人との繋りが解けてしまう、私とあの人を繋いでいるものが直井くんなのだ。だから私は困る。
駄目駄目、駄目、絶対に、直井くんに居なくなられては困る、困るのだ。どうしても。直井くんを家に泊めていたのは。直井くんがバイトをするために住所を貸したのは。
私は直井くんのことをリスペクトしていた。単純に直井くんのことをすごいと思っていた。
だから応援してあげたいと思っていた。彼がバイト先に体験実習みたいに入ってきたときに、これから先の就職のために、私んちの住所貸してあげようか? シェア禁止な訳じゃないし、実際は住まなくても、時々お風呂くらいなら貸してあげるよ。
そう言ったのは、直井くんが私にそうさせるだけのパーソナリティを持っていたからだ。
私は直井くんのことが好きだ。彼の方でも私を嫌わないで居てくれる。私たちは何度かの夜、雨の音を聴きながらお互いのままならない生活について特に無いだろう答も求めずに話し合った。
「これからどうなるんすかね。」
「さあ。」
そんな会話を何度も繰り返した。その度に窓の外壁の向こうでは雨が降っていて、私は決して私を攻めることのないその雨が結局私の進行を阻んでいるのだと、心から知っていた。
同じ雨の音を違う耳で聴きながら、ウイスキーソーダ飲みながら、私は直井くんといつまでも話し合っていた。
でも違う。本当は違う。直井くんがいる限り、私はあの人に会う理由が出来るのだ。それが本音、本当の理由。私は頭を抱えた。直井くんに消えられると困る、会う理由が無くなってしまう。理由もなく会うような関係がないのだ、私と、あの人には。理由が無くなったら、私はあのひとに会えなくなってしまう。会う理由が、ない。会う理由が無いからだ。
会えない、理由がなければ逢うことはできない、あの人は理由が無いのに私にあってなんかくれやしない。
だから駄目駄目駄目。
私は直井くんに消えられると困る。でも、だからといってなんなのだ。これ以上あの人に会って私はどうすると言うのだ。こんなに無意味なのに、これ以上会おうとして何になるというのだ。私は頭を抱えていた。
空きカンを捨てるような雨が振りだした音が聞こえる。


私は冷宮の中にいた。
窓のない、扉も板戸の光の入る余地のない、冷宮の中にいた。板でできた小さな寝台と、薄い肌掛けが一枚あるきりで、夏になると暑苦しく、冬になると寒い、冷宮の中にいた。

光は射した。
板壁の古くなったすき間や節穴から。それも天気のよい昼間ならば。雨が降っていれば射してくる光は一切無かった、夜ならばなおのことだった。私は冷宮の中にいて自分の手が何処にあるのかも解らないときがあった。解らなければ触ってみれば良かった。しかしその手に触れるものは一体何なのか。その触れている手は一体誰の物なのか。私は徐々に解らなくなっていく。

私は暗がりに親しんで自分の体に影が凍んで行くのをやがて面白がるように成っていた。光を拒む冷宮の中で、板戸も壁も床も寝台も、巨大な影の肉体になって私その物だった。私は、ただ影になった。

夏になると暑く冬が来ると凍える、ああ私はこうしてここで死んでいくのだな。そう思ったら不思議とそれが当たり前だと思えた。私に罪が有るとするならそれは生まれたときに既に決まっていたことなのだろう。檻に入ったことが既に私の罪なのだろう。これは仕方のないことだ。私はそれを泣いたりしない。ああ私はこうして影に親しんで、やがて私の身体そのものが影になって解けて消えていって、そして私はようやく檻から出るのだろう。檻から出たら、私がわたしであった全てのことが、みんな四散してしまうのだろう。それでいい。それならいい。

私は冷宮の中で堅い寝台に身を縮めて、眠っても覚めてもいない。
どちらにしても同じことでしかないから。

溶けた鉄で濯ぐような雨音を聞きながら、直井くんの消えた部屋で、私はこんな夢を見た。

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