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森と雨 7

 むいちゃんが帰る時に、インターホンが鳴って、
「雨、俺」
 とあのくそやろうの声がした。返事をしたのはむいちゃんだった。
「レアン先輩。お疲れ様です」
「後藤ちゃんか…」
 と言ってレアンはむいちゃんに抱き着こうとしたんだけど、むいちゃんのほうがかしこいのですっと体を横に引いて、
「そういうのなしですよ、レアン先輩」
 と言った。
 あーあ、とレアンは情けない溜息をつく。
「だれもかれも俺にやさしくない」
「何言ってんのよ、みんなから散々気を使ってもらっているくせに。あんたいい加減わがままよ。自分が恵まれていることを知りなさい」
 と言ってやったら、
「俺が恵まれてるなんて雨が決めるなよな」
 むいちゃんにつれなくされて、玄関に膝をしゃがんだくそやろうが顔を上げて私をにらむのだ。
「じゃあ。雨先輩、ごちそさまでした」
「いいえ、材料買ってきてくれてありがとう」
 海老と卵はむいちゃんが提供しくれた。笑顔で手を振りながらむいちゃんはレアンを足で避けて、帰って行った。きっとゲンゴの所に行くのだろう。そして、二人で仲良く私の噂でもするのだろう。本当に、おめでたい人たち。これは別に悪口じゃない。
「雨」
 レアンは靴を脱いで入ってくる。黒いウィンドブレーカーがよれよれになっているのは、きっとバイト終わりのせいだけじゃない。
「レアン」
 雨。もう一度言ってから、レアンは私に抱き着いてきて、私が両手を伸ばして受け止めてやると、背中に回した手を器用に動かして、結んでいたシュシュを取ってしまった。
「髪、ほどかないでよ。うっとうしいわ」
「俺はこの状態が好きなの」
 とすねた口調で言って、それからおそらく私の首筋に顔を当てて、髪の匂いを嗅いだ。
「…つかれた」
「おつかれさま」
「いやそうじゃなくてさ」
「待つのにつかれたなんてしみったれたこと言うんだったら、今すぐ追い出すわよ」
「つかれますよ、俺結構がんばってるよ」
 と言ってなおの事強く抱き着いてくるので、仕方なく私は目を閉じてされるがままになっていた。するとレアンが体重をかけてきた、つい膝を折ったら、そのまま重心を崩して座りこんでしまった。ぺたんと。そしてそのまま床に押し倒された。レアンの上着に私がくるまれているみたいになって、私の髪がレアンをくるんでいるみたいな形になった。
「重い。どいてよ」
「じゃ抵抗してみろよ。俺がこれから何したいか分かる? 雨、全然反応しないんだな」
 私はレアンの体に胸を抑えられて苦しかったから、じゃあ抵抗してやろうとレアンの体を押し返して、でもレアンは手を離さなくて、私たちはくっついたまま横向きになった。息は楽になった。
「何をしたいのかなんて考えたくもないわ」
 そう言ったら私は寝転んだままレアンに抱き寄せられた。肩と頭をしっかり押さえられて、でもきっとレアンが目をとじているんだろうな、そんな気がしていた。
「ちょっと、このまま寝ないでよ。体痛くなるじゃない」
「おれは寝ないけど、雨が寝てくれたら嬉しいな」
「私の意に沿わずに何かしたら、あんた犯罪者よ」
「示談に持ち込む」
 と言って髪を撫でられた。
「示談なんて成立させないわよ」
「なんでまだ俺じゃだめなの。そりゃ、いつまでだって待つけどさ」
 これからもがんばるしさ、と言って髪の毛を撫で続けている。私は背中がさあっと逆毛立つようだった。
「いいかげんにして。がんばるのは構わないわ。でもそれを私がどうするのかは、私が決めることよ」
「俺はダメなのに、あの兄貴ならよかったのか」
 私はヒューズが飛んだ。滅多にないような力が出せた、レアンを思いっきり突き放して、起き上がって、部屋の入口まで逃げて、
「兄の話はしないでって言ったでしょう」
 と怒鳴った。
「よく言うぜ、ゲンゴにはべらべらしゃべったんだろ」
 口は災いの元、私は心底気分が悪くなって、じゃまっけな髪の毛を右手でかき上げる、まったく、男達はなんでこんなに仲がいいんだろう。レアンは床に座って私を見ている。髪の毛を黒く染めたと言っていた。確かに、前は色の抜けた金髪だったけど、黒髪になっている。それも、マジックでべったり塗ったみたいな下手くそな黒だった。

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