雨の国、王妃の不倫 5

 直井くんは不遇の人だ。男性を好きになる質なんだけど学生時代からご両親に、その生き方を徹底的に否定された。直井くんのご両親は、直井くんが何か精神の病気なんだと決めつけて精神科を巡礼して回った。LGBT などのイメージが徹底的に涌かない世代だから致し方ないのないのかもしれないのだが、問題はその為に直井くんがありとあらゆる苦痛と不名誉を被ったということ。直井くんはいとも簡単に薬づけにされていろんな病名を付けられて、一時期は一人でトイレにも行けないくらいの衰弱に陥ったのだと話す。
 何という不遇。
 そんな彼が、公園で暮らしてでもご両親から離れたいと思うのは、当然としかいえない。言えないだろう。
 私だって同じことをされたらどんなことをしてしまうか自信はない。

“たしかに陽に陽をもってするのと
陰に陰をもってするのは私たちの間でも酷く蔑まれていたけれど、
でもみんなやっていたわ。
宮女も宦官も。ふつうのことだったわ。
あなた方もまだまだ同じように咎められているのね、
なんだか不思議な気がするわ。
だってわたしが生きていた頃なんて。”

 頭の中に語りかけてくる榮妃の言葉に、私はどう答えたらいいのか分からなくて、黙ってコーヒーを飲む。

「別に咎がつく訳じゃないわよねえ。」
 榮妃に、というか単純に独り言だったんだけど、朝ごはんを終えてケイタイで予定の確認をしていた直井くんに聞かれてしまった。
「なんですか。」
 別に。と私は霧のように空気を濡らす雨を見てのろのろコーヒーを飲んでいる。
「直井くんが早く出ていってくれないかあと思って。」
 冗談だ。
「はい。」
 直井くんも分かっている。私はごく個人的に彼の生き方が嫌いではないのだ。むしろ積極的にエールエール、したいと思っている。彼は信頼できる人物だ。しかし恋人が出来たらそっちに移る、といいながら直井くんはもう1年以上私の住所に依存していた。
「出会いがないんすよ。」
 と彼は心から申し訳なさそうに私に言う。私は冗談で言ったし彼もそれは分かっている。だが、
出会いが無いことに悩んでいる、
 というのがこの会話の骨子であるのだ。
「まだ好きなんだからじゃないの?」
 私が尋ねると、それを言われると辛いなあと苦笑して、
「まだ好きなんだからなんすよ。」
 どうしてもあの人以上に人を想えないというか。
 直井くんは長年片想いしていた男性が結婚してしまって(女性と。片想いの間に彼も他のお相手と付き合っては居る。)、現在嵐のような傷心の日々を過ごしている。本当に本当に好きだったのだ。
 だから私の言うことは冗談だ。それだけ好きだったひとをまだ好きなのに他の人なんて好きになれる筈がない。
「私んとこの先生に視てもらう?」
「いや、遠慮します。あの先生だと物凄く落ち込む事言われそうだから。」
 と直井くんは笑った。

“ほんとうにふしぎね。
わたしが死んだのなんていったい。
どれだけむかしか知らないけれど、目覚めてみたらみんなわたしと同じことばかりしているなんて。”

 榮妃が少女の様に澄んだ疑問を私に投げ掛けた。私だって何を答えたらいいのか分からないのだ。

“皇帝の気まぐれははっきり言って迷惑だった。迷惑には違いないが、訪れがあったことによって皇后と太后の琴線に触れる理由も出来たわけで、それはそれで思惑に叶わない所もないと、榮妃は気ののらない夜を耐えていた。
 しかし気まぐれが単なる気まぐれで終わってしまっては肝心の皇后に憎まれるという目的が成就しなくなってしまう。
 榮妃は、全く気がのらないままに肌を柔らかくするという果実を食んだり、夜化粧の道具を前より高価な物に取り替えたりもした。そうした細やかな工夫は、おこぼれに預かろうと必死な宮女達によって、いつも少しずつくすねられていくのであった。
 丁寧、と言うには余りに無表情に、紅を指していく宮女の顔を鏡の虚ろに見ながら、榮妃は変わることなく思っていた。何とかして宿下がりがしたいと。”

 私と直井くんは一緒にアパートを出てバイト先であるディスカウントストアに向かった。
 私たちはここの店舗がやっているネット販売のために店内から品物を集めて荷造りする、と言う仕事を任されている。食料品売り場をカートを押して商品を探し、研修で言われた通り中身が潰れないように慎重に詰めていく。
 後は配送係の人が私の詰めた段ボールにラベルを貼って、配送先別に仕訳していくのである。
「なんつーか、いつの時代も女の嫉妬って恐いっすよね。」
 と一緒に歩きながら直井くんは言う。
 本当は直井くんはこんな風におんなと隣り合って歩くのが好きじゃない。付き合っているように見えるからだ。
 それは直井くんが貫いている生き方にとってある種の屈辱であると言う。
言う、というかきっとそうだろうなと私は考えている。
 直井くんは誇り高い人物だ。どんなに虐げられても自分の本音に立ち向かうことを止めなかった。しかし、彼を痛め付けた奴らのやり口は苛烈だった。
 直井くんは今でも精神障害者で、フルタイムの仕事に着くのが難しい。でも彼はへこたれない。そんな直井くんに、一緒に歩いてもいいと思ってもらえることは、私自身の誇りでもある。ふふんって感じだ。
「あの女の人は、ライバルの悪意で陥れられたんですよね。」
 と職場に向かいつつ彼が言う。榮妃の事なのだ。ライバルに陥れられた。

“あながちそんな風にもいえないのよ、あなた。”

と、榮妃の楽しそうな声が響く。

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