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サイレン 4 「青い世界の人」

「これは、抽象画でいいのかな。」
 私が言うと、サイレンはちょっとムッとした顔をした。
「俺はドローイングが苦手なんだ。ペインティングしか出来ないんだ。」「どう違うんだっけ?」
「形を作るのと色を塗るのの違いだ。俺は形は上手く捕らえられないんだ。ちゃんと絵の勉強したわけじゃないからな。独学なんだ。だから、俺が描くとたいてい抽象画っぽく見えるんだよ。」
 下手だから。とサイレンは言った。
 そんなことないよ、と私は思ったんだけど、そんな一言なんかサイレンの信念の前には何の意味も無いだろうから、言わなかった。
「一生独学だけど、結構有名になった画家だっていないことは無いと思うよ。」
「そうなの?」
「サイレン、他の画家の勉強とかしないの?」
「興味ないな。俺は自分が描いてるのが好きなだけだから、他の人がどんなものを描くのかはどうでもいいんだ。」
「チャールズ・ストリックランドみたいな人だ。」
「誰?」
 サイレンは眉間にしわを寄せた。
「小説の主人公。『月と6ペンス』っていう小説の。中年になってから突然絵の勉強始めて何もかも投げ出しちゃった人で。描くものがあんまりにも奇抜だったから生前はまったく見向きされなかったんだけど、死んでから有名になったんだ。ゴーギャンがモデルだったかな、たしか。」
「俺は小説は嫌いなんだ。」
 ふうん。つまらないことを言わないで。
「でもラストシーンが素敵だよ。彼はハンセン病にかかってて死ぬんだけど、死ぬ最後の瞬間までかかって生涯最高傑作を書き上げるの。人類の根源を射抜いたみたいなど迫力の壁画をね。そして遺言でその壁画を燃やしちゃうんだ。」
「ああ、それなら俺もやってみたいな。」
「でしょ。サイレンきっと共感できると思うよ。」
 サイレンは口の端をにやっと歪めた。
「さてと。またこれ乾くまで動けないけど、いいの?」
「構わないよ。サイレンと話してるの楽しいから、私待ってるよ。」
「そうか。糸尾、呑める方?」
 とサイレンが聞いた。
「おうよ。なんでも来いよ。」
「ちょっとコンビニ言ってビール買って来るけど、呑まないか。まだ6時くらいだけど。」
「わああ。なんて嬉しい。」
「糸尾動けないから俺が行って来るね。500円出せよ。」
「え、おごりじゃないの?」
「ふざけんな、俺は勤労青年だぞ。」
「そうなの?」
「だから金なんていつも無いんだよ。」
「そう?じゃあ私がお金出すよ。バイト代入ったとこだから。」
「糸尾何のバイトしてるの。」
「講演とかのテープ起こし。出来高払いだけどね。」
 私は財布から1000出してサイレンに渡した。
「グレープフルーツのお酒とポテチ買ってきて。」
 分かった、と言ってサイレンは階段を駆け下りていった。その後姿を見送りながら、私は自分がずっとまったりと笑っていたことに気付いたのだった。

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