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それは初盆から始まった

魔物が帰ってきていたような1週間でした。

私は、知らない間に数人の人に迷惑をかけつづけていたようです。それを知ると自分も気分が悪いし、もちろん私のせいで迷惑をこうむった人はもっと嫌な思いをしているんでしょう。

すべては初盆から締め出されたことから始まりました。あんまり長い期間

“私が人を嫌いになること、あるいは人が人を嫌いになること、あるいは人が人間を嫌いになること”について考え続けていたので、今は気持ちがかなりすさんでいるようです。

いろいろと書いてみましたが、どの回も一応の結論が出ているものの、どうしても納得がいかない。

思えば私は誰かを嫌いになること、嫌われることでいつも人生のターニングポイントをダメにしてきました。特にひどかったのが大学院を卒業して働き始めたころで、一番頭が動かなかったときのことです。

同僚や先輩に私はとにかく煙たがられていました。仕事ができないもんですから。毎日毎日怒鳴られて落ち込んでストレスがたまって、それでまたへまをして起こられて落ち込んで、気がついたらまともに口を利いてくれる人がいなくなっていたので、そのときの会社をやめようと思ったのでした。

私は、自分が相手を嫌いになる以上に、相手から嫌われる、そういう人間なのでした。それを見つめなおすことが舅の初盆から始まって、そして、一向に見つめなおせないまま今日もキイを叩いています。

なぜ、私はこんなにも人から嫌われるのだろうか。一部には親切な人もいて、丁寧な対応をしてくれるのでとてもうれしいです。ありがとう。

ですが、私が嫌われた、毛嫌いされた人と言うのは今までの人生にあまりにも多い。本当に、多い。中学でも高校でもクラスの誰とも話しができない時期がありました。大学はまだもうちょっとましだったけど、大学院もなじめなかった。

答えは明白で、

私が好かれようとする努力をしないからです。

きっとへんなプライドがあるのです。そのプライドの正体は、また考えてみたいと思っています。私には妙なプライドがある。そいつが、人を好きになることを邪魔している。

じゃあその問題をクリアできたら、私はもっといろんな人のことを好きになれるのだろうか。

分かりません。未知の領域なのです。という今日のお話。

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