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雨の国、王妃の不倫 11

「先生、ともだちを助けてください。」
「無理です。嫌です。できるけど、したくないです。」
 先生はタブレットの束をぱらぱらと捲りながら言う。
「あのねえ。」
 仕事は取りあえず一段落が就いていた。
「人の道すじというのは、石畳の道のようなものなのよ。いろんな形をしたいろんな要素を敷き詰めて、その人の真っ直ぐなみちができている、あなたの言うような、そのお友だちを助けるとなると、どこかの敷石を取り除かなくてはならなくなってしまうのね。でも果たしてその石をどかしてしまうことが正しい事なのかは私には判断が付かない。石を一つどかしたら、また別の石を嵌めなくてはならなくて、その、新しい石のために私は他のきちんとした石までどかす必要が出来てしまう。それではみちがどんどん歪になってしまうでしょう。
真っ直ぐなだけがいい人生とは言わないわ。ただ歪なものが正しいのだとも、あなた、言い切れないでしょう。そのお友だちのためにね。私はいくらでも筋道を付けてあげられますよ。
でもその人がそれで幸せになるとは、私は言わないわ、絶対に言わない。それよりも。」
先生がタブレットを捲る。
「あなた自身のこの空欄にはどうしたらいいのかしら。」
と言ってカードを一枚私に見せた。

王妃、という意味のカードだった。女王、ではなくて、王妃。

「あなたの空欄にはこのタブレットがぴったり填まるの。でもあなたの 現在 にくるカードがそれを妨げている。言えた義理ではないですけどね。あなたは頑なよ。自分でその敷石を抱えたまま、離そうともしないんですもの。」私はまた雨の中に出ていってしまった直井くんについて助けを求めたのだ。でも先生は、私も直井くんも助けない、と、言った。


 直井くんが姿を消した。私はその事にどうしようもなく取り乱した。私が直井くんのなんだと、言うのだ。何者でもない。だからこそ私は取り乱した。
 直井くんが私の家に来なくなった。直井くんはバイト先にも来なくなった。
 ネットスーパーの、注文書をもとに荷物を集めて段ボールに詰めるバイトに、来なくなったのだ。私はそれとなく、気になったので主任さんに聞いてみた。
「直井くんどうして最近シフトに入ってないんですか?」
 主任さんはこともなく言った。
「直井? 彼なら大分前に辞めていったよ。」
え。

 そんな筈ない、バイトは直井くんの生命線だ。いくら公園生活をしていて、いくら友達を頼って生活しているからと言って。直井くんがバイトを辞める筈がない。そんなことをしたら一番困るのは彼なのだから。
「それって本当になんですか。」
 私は主任さんに聞いた。
「ほんとも何も来てないでしょう。来ないやつは、辞めたんだよ。」
 主任さんは冷たく言う。障害者職業支援施設から話を回されるのは彼なのだ。
 就職活動しては簡単に辞めていく人達を、あまりにたくさん見てきたひとなのだ。
「と言うわけで、この注文書よろしく。」
 と私は5枚くらい一度に渡された。私は完全に冷静さを失っていた。直井はきえた?
どこに?
今かれがどんな所に消えられる?
既に現実から半分消えかかってしまっているのに。だめだ。彼の存在を消してしまってはダメだ。彼は存在しなければならない。
 でも直井くんが何処に言ったのか私はさっぱりわからない。彼の友達の連絡先も、私は何一つしらないのだ。

 直井くん。
 一体何処に行ってしまったの。だめた。あなたみたいな人こそ現実から消えてしまってはだめだ。私はパニックを起こしていた。直井くんは私の日常にパニックを起こせる人間だったのだ。そのことに、私はもっとも狼狽えていたのだった。

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