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“圧倒的”が“圧倒的”である理由

嫌い考察の8回目をやってみようと思っています。今日は、徹底的に「嫌いな人」について自分の最奥に問うてみようかとおもっています。

この世の中に圧倒的に嫌いな人が3人います。それはもう圧倒的で、「圧をかけて」「倒す」ほどの勢いで(そういう用例であっているのか分かりませんが)、私はその人たちのことを嫌いです。

でも、嫌い嫌い言っていても話が先に進みませんから、嫌いだということを明記して、では、何故私はなぎ倒すがごとくその人たちを嫌っているのか考えてみたいと思うのです。

そんなこと、普通はしませんよね。

嫌いな人、もの、事ならなるべく近づかない、近づかせないようにして、自分の身と心の平穏を守ろうとするのが通常じゃないかと思うのです。

でも、私はあえて今自分がとことん嫌っている人たちについて自分の心をくりぬいてみようと思っている。それはどうしてなのか。

復讐心、という単語を選んでみました。

私はその3人によってほとんど人生を狂わされたのです。今、家族の力を借りてどうにかこうにか安定して過ごしているのだとしても、その3人が落として言ったのは爆弾でさえない。

バキュームカーの中身なんです。

本当に、本当にひどい。

言葉が通じない人と言うのは、人の耳の中に平気で排泄物を流し込める人だと思って、私は嫌で嫌で仕方がないのです。そんな思いをさせられたから。だから復讐心。一生この恨みをなくすまい。絶対に、そう思うから、私は自分が人を嫌うことに関してここまで拘っているのでしょう。

そしてそれがもっと普遍的なテーマにまで広がっていくからでしょう。

何故人は人に対してこんなにひどいことが平気でできるのだろうか。

そういうことを考えるからなのです。何故こんなにひどいことを平気でしてしまえるのか。そのとき、加害者はどんな気持ちでいるのか。私は嫌いになるという方法で乗り越えていますが、乗り越えられなかった人たちは、一体どうしたらいいのか。

嫌い=攻撃の手段。

私は相手を嫌うことによって自分を守っている。弱い、弱いから仕方がないのです。

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