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シーナ&ザ・ロケッツにまつわる覚書

鮎川誠さんの訃報はどう受け止めたか言葉にするのが難しい。ショックとか衝撃とか、そういう言葉にしてしまうと余計に実感から離れていきそうな、そんな感覚がある。

シーナさんが亡くなった時、シーナさんがこの世からいなくなってしまったことよりも、鮎川さんがおつらいだろうな、という気持ちが先に来た。その鮎川さんが亡くなって、それをどう受け止めたのか、まだうまく言葉にならない。

シーナ&ザ・ロケッツは何回かライブを観たことがあるけれども、私は世代的にちょっとズレているので、周囲を見渡してみて「みんな大好きだった」という世代ではない。どちらかというとシナロケの下の世代周辺の方が馴染みが深い。だけど福岡出身のバンドとの親交があると自然と、シナロケの話題は出るし、シーナさんのステージ・ネームは私の好きなラモーンズのSheena Is A Punk Rockerからとったものというだけで親しみが湧いた。

邦楽ロックの黎明期を支えたのは福岡出身のバンドたち、ARB、Th eRockers、The Mods、Modern Dollz、そしてシーナ&ザ・ロケッツだった。その中でもシーナ&ザ・ロケッツは女性シンガーを擁するバンドであり、鮎川さんとシーナさんは子育てと仕事をずっと両立させてきた、20世紀の女性ミュージシャンでは稀有な存在となった。それは鮎川さんというパートナーとバンドのメンバーの協力があってこそ実現されたものであり、その他の女性ミュージシャンたちの多くは結婚、出産、家族の維持、バンド、何かを、どれかを諦めていた時代、シーナさんはなにも諦めることなく全てを手に、前に進んでいった女性だった。

いちばん記憶に残っているのは1988年の結成10周年記念の年。音楽雑誌ではその話題で持ちきりだったし、日比谷野音で記念公演もあった。当時の日本では10年間も、ひとつのバンドが存在し続け、活動を続けていくなんて誰も予想していなかった時代だった。多くのバンドは5年と保たずに解散する、それが日本の音楽業界の現実だった。そんな中で、結成10年を迎えたシナロケは邦楽ロックの新時代のドアを開いた、みんなそんな風に実感していたと思う。

そしてこの21世紀、20年、30年と活動するバンドも、妊娠出産を経ても活動を続ける女性ミュージシャンも、日本のロックバンドもたくさんいる。それは鮎川さんたちが切り開いてきた道があるからこそ、歩いてこられた人達なんだと思う。

シーナ&ザ・ロケッツというバンドをリアルに体験できた世代で幸運だったと私は思う。

今日の1曲


今日のパンが食べられます。