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死ぬかもしれないと思った話

数日前の夜中、私はふと目を覚ました。
お手洗いへ行きお茶で口を湿らせてから、再び眠りにつこうと目を閉じたが、一度目覚めてしまうと脳が活動を始めてしまうため、なかなかすぐには眠れなかった。

暗闇の中で、私はぼんやりと自分の思考に浸っていた。
その時、ふと、あ、私そのうち死ぬかもしれないな、という考えに至った。

というのも、私は現在終わりに近い30代なのだが、それなりに健康的な生活を送っているにも関わらず、大体いつも体調が優れないからだ。

2022年度は咳喘息に悩まされていたし、2023年は副鼻腔炎(私としてはかなり辛いくらいの症状が出る)を繰り返していた。
胃が相当に弱いため、大体毎日大正漢方胃腸薬を飲み、消化剤やら胃酸抑制剤やら何やらかんやらドーピングもしているが、ちょこちょこ吐き気で夜に目覚めたりする。
子宮にも軽いが持病があり、低容量ピルを飲み続けなければならない。(ピルを飲みはじめるまでは毎日胃がどうにかなりそうな程ドギツイ鎮痛剤を飲み続けていた)
2023年はメニエールにもなった(幸い薬で軽快したが今も目眩どめの薬は常備している)。

中年でトラブルが増えてくるのは仕方ないことだと理解している。
年上の身内でも、この年頃で大病した人は多い。


でも、自分なりには、己のコンディション維持に気をつけているつもりなのだ。

湯たんぽやネックウォーマーで弱い部分を冷やさないようにし、不調時は毎日のように鼻うがいもするし、胃が弱いためなるべく消化の良いものを心がけているし、グルテン不耐症なので小麦もなるべく摂取していない。

専業主婦なのを良いことに、4歳児と共に就寝するため(蹴られたり寝ぼけて頭突きされたり何やかんなで途中起こされはするが)、毎日8時間は眠れていると思う。


……これで、なぜこんなに体調が悪いのだろうか。

私が自分の体の不調に敏感なのは間違いなくあると思う。

手洗いうがいや睡眠の効果があってか、感染症には割と強いと思う。
風邪はあまりひかないし、ここ数年世間を騒がせていた例の感染症にも一度も罹らず(夫が罹った時もうつらなかった)、息子がインフルエンザになり看病していてもうつらなかった。

自分の内部から発生する不調が多すぎるのだ。

主婦なので、休みというものは厳密には存在しない。
どれだけ体調が悪かろうが、子の登園準備や送り迎え、食事の準備や洗濯、子の相手などは待ってくれない。

しんどいしんどいと言いながら毎日をなんとかかんとかこなす。
それを見て夫に「いつも調子悪いけど、一体いつが元気なの?」と言われる日々。

私なりに取れる対策は(継続的な運動以外)それなりに頑張っている。
これ以上何をどうしたら良いのか?レベルですらある。

なのに何でこんな毎日調子が悪いのだろう…と考えていた。

先月身内で不幸ごとがあって、その時の疲れか冷えかストレスかで、治ったばかりの副鼻腔炎が再発してから、もう3週間近く経つが一向に快方に向かう気配がない。
近々やっと耳鼻科の予約が取れたので受診するが、また抗生剤飲んでお腹痛くなるんだろうなぁ…と思いながら、どんどん弱っていっている自分に気づいた。

体型は変わらないどころか運動不足でジワジワ太っていっているが、体力はどんどん落ちている。
余力がないから、少し負荷がかかるとすぐに弱いところが不調を起こす。そしてなかなか治らない。
薬をあれこれ飲みすぎて、軟弱な胃がまた悲鳴をあげる。

対策を強化しても強化しても、それを上回る体調不良が起こっているこの数年を振り返ったときに、私、このままどんどん弱っていって、ちょっと大きな病気してそのまま死ぬんじゃないかな、という考えに至ったのだ。

深夜だったからかもしれないが、とても現実的に感じられた。
リアルにあるな、と思ったので、私は私の死後のことを考え始めた。


今年の私の目標の一つが「いつ死んでも良いように、本当に必要なもの以外は手放す」なのだけれど、少しずつ手をつけてはいるものの全然出来ていないので(体調がすぐれなすぎて…)、これはまだ体力があるうちに急がねばならない。

私が死んでも夫が仕事を続ける限り経済的には大きく問題はないだろう。
夫は複雑な家計管理が苦手だが、やってもらうしかないので、もう少し何か書き残しておいた方が良いだろうか。
複雑な手続き関係関係はとりあえず市役所と懇意にしている保険マンに相談するように、と予々伝えてはある。

息子の生活はどうなるのだろうか。
私が横に居ないと眠れないとかはそのうち慣れるだろうけれども。
夫はシフト制かつ勤務時間が長い仕事をしている。
日勤だろうが夜勤だろうが、今通っている園どころか、保育園の延長などを使っても送り迎えは間に合わないだろう。

私も夫も実家から離れたいという気持ちも鑑みて現在の居住地に住んでいるため、どちらかの親が手助けをするのもあまり現実的ではない。
もし本当に私がこの世からいなくなったら、夫は40を前に職場を変えざるをえなくなるのかもしれない。

時間の融通がきく仕事に変わったとしても、シングルファーザーをやっていくにはファミリーサポートとか使ったとしても、身内の手助けなしにはままならないのかもしれない。

夫の祖母(100歳に手が届きそうな超高齢)が健在なので、義両親を頼ることは不可能だし、私の父は今も仕事をしている。
唯一わずかに可能性があるのが私の母親か。

私の母親なら嬉々として孫の世話生活をしそうだ。
実家は日帰りで往復するにはかなり負担がかかる距離なので、何日か泊まり込みという形になるだろう。
なんならそのうち父と揃って近所に引っ越してくることも容易に想像できるし、戸建の我が家に両親が転がり込んでくることもあり得るかもしれない。
夫も義両親と同居などしたくないだろうが、息子との生活を考えたら背に腹をかえられんかもしれぬ。


そこまで考えた時に、強烈な嫌悪感が私の中を駆け巡った。

私は母親とソリが合わないため、今後両親が老いていき手助けが必要になったとしても、正直あまり深く関わりたくないと思っている。

それほど距離を置きたい母親が、私のテリトリーである自宅に入ってきて、あれやこれやに手をつけられるなんて、そんなのは断固受け入れられない。
絶対に嫌だ。


まだ死ねない。


素直にそう思った。

少なくとも、息子が一人でもそれなりにお留守番生活を営めるようになるまでは。

絶対に生きる。

深夜に、謎の決意をしたのであった。


想像力たくましいのは子どもの頃からなのだけれど、このほぼ妄想の想像も、生きる力になるのだな、と可笑しく思った晩であった。


翌朝、その決意について夫に話すと

「そら死んだらあかんよ!」

と真顔で言われた。


少しでも免疫力をあげるために、今の副鼻腔炎が落ち着いたら、今度こそゆるめの運動をちゃんと続けていこうと思う。


※画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました

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