モブコードレビューでメンタルが削られた

モブコードレビューをやってみたら思いのほかメンタルが削られたので、その時のことを書いておく。

もともとモブコードレビューをするつもりではなく、「効率の良いデバッグ方法や小技」について共有するための集まりだった。
そこでissueにあがっているとあるバグを解析して修正するまでをデバッグツールを使用してやってみようということになり、それがちょうど自分の書いたコードだった。
私もあまりコーディングが得意ではないので、みんなに見てもらえるのはありがたくぜひお願いしますと前向きな気持ちだった。

モブのレビューは思った以上にエグられる

ある程度色んな指摘がくることは想像していたものの、モブコードレビューは思った以上に私のメンタルをゴリゴリと削っていった。
指摘そのものは非常に的確な内容なのだけど、自分のしょぼいコードが大きいモニタに映され、「わかりにくい」を連呼されるのを目の前で聞いているのは辛かった。
カンナでゴリゴリ削られる鰹節やパスタの上で削られるパルミジャーノ・レッジャーノと同じように自分のメンタルも容赦なく削ぎ落とされていった。

数分前のあの前向きな自分はいずこへ行ったのか。

レビューが辛いと感じる人はまあまあいる

帰宅して"レビュー" "辛い"でTwitter検索するとなかなかの数がヒットした。「コードを否定されることがまるで人格を否定されるように感じる」という内容や、「コードの否定は人格の否定ではないという気持ちを、受け手も持つことも大切」という意見には大変共感を覚えた。

コードとわたし

ただ実感としてコードと人格の結びつきは思った以上強く、ここを分離すること自体が難しいと感じている。自分の例で言うと「良いコードは書けでないが良いコードを書こうという気持ちはいつも持って書いている」からだ。むしろコーディングがヘタクソな人間ほどこの気持ちは強いのかもしれない。コードの否定はまるでこの気持ちまで否定それているように感じてしまう。
これに関しては「コードの否定は自身の否定ではない」を呪文のようにひたすら唱えるという泥臭い方法を試している。

誤解のないように追記しておきたいのだが、このレビューでは"クソコード"とか"こんなコード書く人の気が知れない"とかそういった言葉は一切登場しないし、純粋により良くしようという気持ちでやっている。ただ、レビューが盛り上がってくるにつれ"わかりにくい" "良くない" "これ本当に動いてる?"というネガティブワードの数が増えていたように感じた。
これは単純に場が盛り上がると思ったことが素直に出ちゃうんだと思う。

モブのレビューはしばらく避けよう

レビューは必要な文化だと思う。
ただ、モブレビューは今の自分には合わなかった。
自分のしょぼいコードが大勢に晒されること、「わかりづらい」を連呼され、それを目の前で聞いていることが自分の貧弱なメンタルでは受け止めきれない。

ただ、指摘ポイントもあるが褒めポイントもあるコードで試したり、ネガティブワードをポジティブワードに置き換えるなどの工夫ができるなら、モブレビューはもっと楽しくなるかもしれない。なにより良いコードとは何かをチームで共有し、ノウハウを学ぶことはチーム開発にとって大きなメリットである。

自分は繊細なのできっと明日くらいまでは落ち込んでいると思う。
完全復活には1週間くらいかかると思う。そのくらいには絹豆腐メンタルである。
ただ、貴重な時間を割いて少しでも良くしようとコードレビューしてくださったみなさんには感謝しかないので、この経験も前向きに受け止めて精進しようと思う。


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