見出し画像

不登校でありがとう

2019年春
我が子は小学校へは行かないという選択をした。

理由はたくさんあった
宿題多すぎ
先生怒りすぎ
教科書つまんない
なぜみんなと同じでなきゃいけないの?
などなど

しかし、何よりも大きな理由はきっと
「自由がない」と感じたことではないかと予想している。

先生の言う通りに振る舞う必要がある
今考えることは決まっていて、それを時間通りにこなさなくてはならない
別のことを考えていると叱られる

小学2年生の拙い言葉で息子は言った
「学校は自由じゃないんだよ
 他のことを考えちゃいけないの
    息ができなくなっちゃうの」

わたしは、息子の自由な型にはまらない感性が大好きだ。
育てるという目線に立つと大変な面もあるが
一緒に生きていくという目線に立つと
刺激もあり、わたしの常識に対し問題提起されるので、こちらは常識を見直し、勉強し、情報や価値観がアップデートされていく。
こんなにも楽しいパートナーは他にいない。

35歳を超えた時、ここからは、自分の思い込みや常識をいかに手放していけるかが、自分が成長していけるかの鍵になると感じた。

息子の感性は、持って生まれた才能だと感じている。
わたしは、このまま息子の想いを無視し、学校へ通わせ続けることは、息子の才能を潰してしまうことに繋がると判断した。

わたし自身も学校で学ぶ座学がとても苦手だった。そのため、息子に根気よく自宅で座学をさせる自信は全く無い。
学校へ行かないという選択を受け入れることは、同時に、「テストで良い点がとれるための勉強は疎かになる」ということだ。
不安になった。
生きていけるだろうか。
進学は?
就職は?
真っ当な大人になれるのか?

しかし、真っ当な大人とはなんだろう。
頭が良いとされる大学を出てその先にあるものか?
世界時価総額ランキングで底の底まで落ち続けている日本企業に就職することか?
そんな不確かな未来のために、
彼の才能を潰してしまう必要があるのだろうか。

いや、全くないな。
天秤にかけるまでもない。
彼の才能を伸ばすことに比重を置こう。
これが、母として出したわたしの結論だった。

この結論に至ったことで、周囲からの批判はもちろんあった。
心が折れそうな経験もした。

しかしそれを超えた先には、
得るものの方が圧倒的に多かった。
新しい価値観を持った人々との出会いや、新しい視野での経験。
心がわくわくするような世界ばかり。

楽しい!に出会うと思わず息子に言ってしまう。
「不登校でありがとう!!」
それを聞いた息子は、いつも照れ臭そうに「うん。」と言う。

人生は選択の連続だ。
選択したあと、その後をどう過ごしていくか。
どんな可能性があり、どんな選択肢があるのか。
その幅や視野を広げていく様を見せるのが、わたしにできる唯一の、息子たちへの「教育」だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?