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Nosutarujikku novel Ⅰ         シスター葉子 春の章 

     


Ⅰ 
 僕は桜が散り始め、葉の碧さがあざやかに映る春の日を、いぶかしげに、深いため息をつきながら、中之島公園を端から端までゆっくりと歩いていた。
時折、川面に揺れる光の漣を美しいと感じながら、もの思いに耽りながら歩いていた。
1970年・・・僕は二十歳の春を迎えていた。

 初恋の彼女との訣別による痛手から回復するのに、僕は丸1年かかってしまったことになる。
彼女は大学という環境で大きく変わってしまった。でも、それは自然なことに違いない。
離れていく彼女を引き留めるものが、もう僕には何もなかった。
引き潮の波が知らず知らず浜辺を遠のいていくように彼女は消えた。
僕は僕と向かい合い卑小な自画像に嫌悪しながら時を過ごした。

 東京の大学しか行かないと、滑り止めに受かった神戸の大学を辞退して、2浪目は自宅学習と図書館で過ごした。 
もっともそれは、表向き父母に対してのことで、図書館は映画で、自宅学習はもっぱら微睡み=夢を視ていた。
つまり僕は僕という現実から出来るだけ遠くへ離れることだけにひたすら時間を費やし、夢の世界にいた。夢と映画の世界で現実の意味を無くすようにして生活していた。

 逆説的に聞こえるかも知れないけれど、その努力の甲斐あって、僕はまた現実と向かい合えることが出来るようになった。

 勿論、大学受験は受かる筈も無く、今回が最後、予備校も通うという条件で僕は三年目の浪人生活を始めることになった。二十名の少人数制の予備校を選び、僕は毎日北区まで地下鉄で通った。
二ヶ月が過ぎても、僕は誰とも友達付き合いはなく、一人だった。ただ文学を志していた数学のO先生とは時々話をすることがあった。

 70年は、未だ学園紛争の余韻が冷めやらぬ時代で、この予備校でも受講生の一人が聲を上げて、それがきっかけで小さいグループとなり、授業ボイコット・経営陣の粛正を促すという事態になった。

 僕は最初日和見を決め込んでいたが、先生達までがスクラムを組むという様相を呈して、O先生に引きつられるようにしてその闘争グループの仲間入りとなってしまった。

 その闘争方針の打ち合わせをO先生の京都に近い自宅で、酒を飲みながら話をしていたが、少しずつ話題がそれて、予備校の地下にある喫茶Jの女性オーナーの話となった。みんなの口からはあまり評判がよろしくなかったし、非難する声もあったが、一方でそれは憧れ以外のなにものでもないのじゃないかと僕は感じてしまった。お昼はJのお姉さんのところでが日課のようだった。僕は密かに彼女に興味を抱いてしまった。


 闘争?は結局曖昧なカタチで決着をみた。つまり、経営陣の方に理念などあるはずもなく、僕たちの振り上げた拳は空を切り徒労感だけが残った。しかし、教師二人と生徒5人のこのグループ7人は以後も深い絆を持つこととなった。
僕には、僕と喫茶Jのお姉さんとを結びつける為に仕組まれた事件のような気がしてしまったのだが・・・・・・

 昼食にグループに誘われるままに、初めて喫茶Jに行き彼女を視た。
少し痩せ気味と言っていいほどの小柄な身体は均整がとれていて、細面に視えて、ボィシューなおかっぱ頭のせいで、少女のような丸顔にも視える不思議な顔立ちであった。何処か人を小馬鹿にしたような眼差しを時々無意識にしてしまうのが気になった。でも微笑むととても魅力的であり、その眼差しと微笑みは僕を強く惹きつけた。
僕は、翌日から朝早く家を出て、喫茶でコーヒーを飲みながら小説を読むことにした。
驚いたことに、3日目に彼女の方から声をかけてきてくれた。
「上の予備校の人ですよね?」
「はい、そうです」少し緊張した。
   彼女は笑って、「君一人、なんか異質やね」
「そうですか?まあ予備校生らしくないかも・・・受験勉強が苦手なん
   です」
「ふ~んそうどすか? 何を読んではるん?」
「太宰治の初期の短編小説です」
「へぇ~、太宰が好きなんや」
不躾なと思いながら「京都ですか?」
「生まれは京都、7歳まで居て、それ以後は19歳まで、須磨。
   今は宝塚線のある駅に住んでいるんやけどね」
「時々、京言葉になるんよ。おかしい?」
「いえ、おかしくはありませんが、何か・・・・・」
「何か?」
「こゝろが乱れます」
彼女は吹き出して、笑った。
「朝からこゝろが乱れてどうしはるんですか?」
「5時以降は、ショットBarになるの、お酒はいけはりますか?」
「ええ、嗜む程度には・・・・・」
「なるほど、嗜む程度にはね。朝もいいけど、夜もたまに来はったら   ・・・なんならコーヒーもちゃんと出す良し」と笑ってそれだけ言うと、彼女もまたカウンターの内側で丸椅子に座り本を読み出した」
暗い室内だったので、かろうじて読み取ることが出来たのはギンズバーグの詩集とだけ判読できた。


 ほどなく、僕は予備校生がほとんど帰った7時過ぎにJを訪れた。中年の客がビールを飲みながら彼女と話をしていた。                                       

 彼女は僕を認めると、素敵な笑顔で
「いらっしゃい、来てくれたんだ」
「ええ、まあ成り行きですから・・・・・正直、少し話がしたく
 て・・・もっとあなたのことを知りたくて・・・・・」
「いややわ、そんなストレートな言い回し」
「すいません。根が真面目なもので」
「ふ~ん、真面目な予備校生がこんな時間に、こんな処来やしなくて
 よ」
中年の客は、完全にほっておかれたのがしゃくに障ったのか、お勘定と言って帰ってしまった。
「よかったんですか?」
「いいのよ。いつもビール一杯で長尻なんだから気にしなくってええっ
 て、ところで何飲みはる」
「じゃあ、ブランデーをストレートで、それとお水をお願いします」
「へぇ、ブランデー飲みはるの。じゃぁ、お姉さんもつきあっちゃおう
 かな?」

 二つのグラスにお酒が注がれて二人は乾杯した。僕はポケットから煙草を取りだし、封をきった。彼女はマッチで火をつけながら、
「ふ~ん両切りのピースと来ましたか」
「母親がピースなもんで、しかたなくピースから始めたもので」
「さすがと言うべきか?何しろ君は予備校生といいながら、三年目でも
 うすぐ20歳なんでしょう」
「ええ、どうしてそれを」
「君達のグループ何時も誰かお昼休みに来ては、いろんなことを話して
 いるけれど、それを小耳に挟んだだけよ」

僕は、煙草を燻らしブランデーを少しずつ飲みながら、お姉さんの目を視た。何か奇妙な磁場がそこに現れて、引きずられるように物怖じせずに僕は少し微笑んで言った。

「お代わり、お願いしますダブルで」
「少し、早くない。大丈夫?」
「大丈夫です。全然平気です」
「酔い潰れても、介抱しないから・・・」

その頃の僕は、お酒を飲んでもほとんど酔わなかった。観念と神経と感受性だけで生きていたようなものだから。故に酔わないというのは説明にならないかもしれないが・・・言葉は・・・
「●●●介抱派なんてありましたね」
「零点、面白くないわ」
思わぬ逆襲、謝るしかないと思った。
「ごめんなさい」頭を垂れて謝った。
彼女は微笑んだが、言葉にはしなかった。
ここは、単刀直入に切り込む他はないと感じて、
「詩がお好きなんですか?」
「うんん、そう言う訳じゃ無くて、仕事の間は小説は読みが細切れにな
 るし、少し重たくて・・・ほんとうに好きなのは太宰・安吾・昭如が
 ベスト3ね」
「僕のベスト3は、太宰・ドスト氏・ランボーかな」
「太宰だけ共通なんだ」
「一番好きな作品は何?」
「やはり、人間失格と初期の短編群」
「ふ~ん、私は斜陽。人間は怖い?」
「ええ、怖いですね。いや、ほんとうに怖いのは関係性から導き出され
 る人間の本性てやつかな」
「たとえば、お姉さんと・・・」
彼女は僕の言葉を遮り、
「葉っぱの葉の葉子、葉子って呼んでいいよ」
「じゃぁ、葉子さんと僕が何やら恋に落ちたとしたら、二人で創り出す     世界の裡で、互いが想いのキャッチボールをするとしましょう。
   そして、この想いだけはしっかりと受け止めて欲しい時、相手が受け
   止めてくれなければ哀しいだけじゃなくて・・・相手を憎んじゃうで
   しょう」
「でも、そこから物語が、劇が始まるのよ・・・君は傷つくことを恐れ
    ちゃ駄目だよ、このナルシスト!」
「この葉子を、私を抱いてみたくない?」
「・・・・・・・手紙書きます。こゝろの準備が・・・」
「・・・・・いる訳、面倒な人ね」

暫く 二人は口を閉ざした。

「でも、君が少し好きになったわ。もう一度乾杯しょうよ」
「はい、毒杯を仰ぎましょう」
「何、毒杯って、ソクラテスのつもり」
「いや、まあ別に・・・」
「私、少しギャグに厳しいの・・・ほんとうに、でも笑わせてくれたら
 口づけしてあげてもいいわよ」
「頑張ります」
「頑張らなくてもいいの。肩の力抜いて、葉子、私を視つめなさい」
「はい・・・・・」
僕たちは暫く視つめあったが、視線をそらさない葉子さんに負けて、
僕は言った」
「今日は帰ります。ごちそうさまでした」
「一応、学割にしとくわね」
勘定は驚くほど安く、僕はこの関係にたちまち夢中になった。


                          夏の章に続く

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