【覚書・スピリチュアルな本棚】何をなぜ読むのか。
ここ数年、延々とスピ系の本を読んでいる。
なぜかというと、迷路にはまっているからである。
見えない世界のことに興味を持ち出すと、その系列のコンセプトとかタームに出会う。
例えば、オーラとか、チャクラとかは比較的誰でも聞いたことのある言葉だろう。しかし、聞いたことはあっても、その意味を理解しようとすると、沼にはまる。
さらにカタカムナウタヒ、シュレーディンガーの猫、バガヴァッド・ギーター、ハララインなどとなっていくと、ひとつひとつ、1からまた理解しなくてはならず、展開も数多く、これどういうこと!?と頭を抱えることになる。
そして「これ、どこからどうきた言葉/コンセプト/ツールなの?」というのが知りたくて、謎が止まらない。
知る必要はあるのか、と言われたら、おそらくない。チャクラがどういうものか、延々と探っていかなくても、チャクラの特性を利用して、自分や人に役立てることは可能だ。
でも、私は知りたがりなので、探らざるを得ないのだ。
おそらく、探った先にあるものは:
1)聖典と呼ばれるものに書かれている。
2)そういうものである、と(あるコミュニティ内で)認識されている。
3)誰かがチャネリング等をした結果、降りてきた。
このどれかになることが多いんじゃないか。つまり、突き詰めても、その言葉/コンセプト/ツールに対する証明になるわけではない。見えない世界だからね。証明できないだろう(科学サイドから証明しようという動きは大いにある)。
でも、いいのである。
読むこと、探ること自体が、私にとっては精神世界の旅路なのだと思う。
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