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大切なKちゃんへ

これは大切な友達、Kちゃんへの応援のお手紙である。

Kちゃんと出会ったのは数年前。たまたま参加したイラストレーターさんの集まる会合みたいなものに、Kちゃんは会社の人と一緒に来ていた。Kちゃんもわたしもイラストレーターではなく編集者として参加していて、同い年だったこともあり、それからたまにご飯を食べにいったりするようになった。

話せば話すほど、わたしとKちゃんは真逆だ。
好きなものと嫌いなものが極端で、自分の得意をただひたすらに握りしめている私。苦手なことが多すぎて(例えば、処理的なものはとにかく苦手で、会社ではひと月に5回部長報告レベルの経理ミスを出したことがある。酷い)少しだけある得意と、自分の好きなことを大事に可愛がるしか生き方がなかった。それがわたしにとってはものづくり。ミスも多いけど担当している物の量も多かったと思う。
一方、Kちゃんはなんでも器用にこなす。能力を5角形で示すチャートがあるとすると、ものすごく綺麗な五角形だと思う。いわゆるジェネラリストだ。わたしみたいに怒られたことなんてないだろう。
タイプは違っても、二人とも仕事が大好きで、プライドを持っていて、そういう部分がすごく気があって、おしゃべりをするのが楽しかった。

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偶然にも、Kちゃんの出産1年後にわたしも出産をして、ほぼ同時期に親になり、ほぼ同時期に産育休を取得し、そして会社に復帰した。

そこでわたし達を待ち受けていたのは、これまでだって確かに存在していたはずなのに、まったく知らなかった「ワーママ」という世界だった。ある程度覚悟をして望んだけれど、時短勤務の範囲内では、与えられた”こなすべき仕事”で手一杯で、自分の得意なことや好きなことまで取りに行く余裕はまったくなくなった。勤務時間は減っていて会社で過ごす時間は減っているのに、自分の時間はゼロ。
Kちゃんの夫は単身赴任で、彼女はワンオペ育児と仕事を両立しなければいけなかった。Kちゃんの子どもはよくお熱で保育園を早退していた。誰も頼る人がいないKちゃんは「迷惑をかけないようにしなければ」という使命感だけで生きていた。複数の病児保育の空きをいつでもチェックできるようにして、全ての仕事を先回りし、いつでも抜けられるように下準備をし、遅れた分は夜中に取り戻す。迷惑をかけないようにするには、保育園にも病児保育にも会社にも、そして子どもにも、全方位に神経を使いながら暮らすしかないのだ。

わたし達は二人とも、何をして生きているのかわからなくなった。だけどわからないことをわからないと考えている暇がない。15分刻みのスケジュールに追い立てられて押し出されるように1日が終わる。いや、終われる日なんてほとんどなくて、だいたいは1日からはみ出る。時空が歪んでいるだろうか。24時間からはみ出るtodoを使えもしない魔法を使って処理し続けるみたいな日々。

会社は違えど、貴重な隙間時間で頻繁にLineでやりとりをし、お互いの状況を短く共有し励まし合って、そしてたまに深夜に「どうすればここからぬけだせられるのか」と話し合った。ワーママの先輩は近くにいたけれど、実家サポート万全だったり、やりがいを捨てて割り切っていたり、あとは多少の迷惑は気にしないようにしていたり、取り入れようと頑張ったけど、やっぱり取り入れられない工夫ばかりだった。よりによってわたしたちは二人とも繊細で、かけている迷惑に目をつぶることはできそうになかった。ネット検索をすると、バリバリキラキラのキャリアワーママの”朝5時起床! 家で仕事と家事! 夕方からはこども時間!”みたいなスーパーサイヤ人としか思えないスケジュールにはめまいがした。わたしたちは「戦闘力5のゴミ」なのである。真似できるはずがない。暗くて狭い蛸壷の中から青空を見上げるだけの深夜のLineは続いた。

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そんな日々が1年あって、わたしは会社を退職し、自分の好きなことで生きていく決意をした。
それから少ししてKちゃんは体調を崩し会社を休職した。

Kちゃんはいつも言っていた。「ゆきちゃんは、好きなものがはっきりしてるのすごくいいよね。得意がはっきりしてていいね。好きなことを仕事にできるって最高だよね。それはすごい才能だよ」
「特別に好きなものって何かわからない。やりたいことは何? と聞かれると息が詰まる。器用貧乏が本当に嫌になる」
「上司との面談で、何か武器を作ったほうがいいって言われて、そんなの昔からわかりすぎててつらかった」

「これ」という武器がないジェネラリストは、会社に所属しないと、仕事がない。

彼女を追い詰めたこの考え方は、ただの彼女の思い込みなんだろうか。

数年前から世間の共通認識となった「好きなことを仕事にすれば勝ち組。得意をみがいてそれで稼いでいける時代」みたいな、誰にも否定しようのない価値観が、彼女はじわじわと追い詰められ、ちょっとずつ傷ついていたんじゃないか、とわたしは思う。
だって、その価値観を裏返してみて。
「好きなことがない人は負け組。得意がない人は稼げない時代」
恐怖の呪いにも聞こえてしまうじゃない。
多くの人が憧れるその価値観が、ある人にとっては毒針となり、じわじわと自己否定につながっていく。

わたしはたまたま、世間の「好きを仕事に」の波に乗っかって前に進むことができた。もう何年も前からその流れはあったから、先陣切ってつっこまなくても、理解もえられたし自分にできることも見つけやすかった。

その世間の価値観の反動が、Kちゃんを追い詰めた。

Kちゃんだって思っているのだ。自分の得意で生きていきたいと。遠慮せずに、迷惑をかけずに。でも、自分にできることがわからない。彼女は五角形の自分を責め続けていた。

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Twitterを眺めていると、そろそろ「好きを仕事に」の波は落ち着いていくように思う。

次にくるのは、他の誰でもない、Kちゃんの時代だ。

広報や秘書を専門とするような文系フリーランス、スタッフ系フリーランスを少しずつ見かけるようになった。好きや得意を尖らせて起業した先人たちが、軌道に乗るにつれて、好きだけでは立ち行かないことに気づきはじめている。右腕を欲しがっている。器用に先回りして全方位仕事が拾えるスキルの価値が見直され始めている。

Kちゃんのコンプレックスだった、得意なものがとがっていない五角形的なスキルは、それそのものが武器なのだ。


今はまだ、それは、小さな波で、新しい流れに先陣をきっていけるのは、スーパーサイヤ人的な人少数かもしれない。わたしは怖くて意気地なしで、まだ波が小さかった時代はそこに踏み出していけなかった。だからKちゃんの動けない気持ちがとてもわかる。
でも、きっと、2020年が終わる頃には時代の価値観はもう少し変わっている。ちょっとの勇気で、動きやすくなる。これから新しい時代を切り開いていくのは、Kちゃんのようなジェネラリスだ。特別な得意で生きる人と、特別な得意がない人は、きっとこれから手を取り合ってゆく。

終身雇用を前提とした単線型のキャリアの時代が終わり、転換期に、副業・複業や起業、フリーランスなどの新しい働き方が生まれた。そしてその大きな波のゆりも戻しが2020年に始まるように感じている。スペシャリストの時代から、ジェネラリストの価値が再定義され、共存する時代へ。

だから、Kちゃん、どうか下を向かないで。
あなたの時代はこれからなの。

”「これ」という武器がないジェネラリストは、会社に所属しないと、仕事がない。”というループから、抜け出そう!

また、Lineするね。



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