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「お金をとるか、やりたいことを取るか」というナンセンスな天秤に食い下がってみる

お金について興味がなかったわたしが
毎日お金のことを考えています。
めちゃくちゃ興味でてきてます。

会社をやめるときに安直に考えてたのは
「お金を取るか、やりたいことを取るか」という天秤でした。

結果、上司には
「わたし、お金はいらないんで、好きな仕事がしたいんです」
と言って退職しました。

あのとき、
わたしが天秤にかけていたものはなんだったんだろう。捨てたものはなんだろう。拾い上げたものはなんだろう。最近よく考えます。
捨てたものは「お金」の仮面をかぶった何か、だった気がする。
そして、どちらかを捨てなければいけない、二者一択判断ではなかった気がする。

そう感じるのは、今わたしは、捨てたはずの、いらないと思っていたはずの
「お金」が欲しいなあと思っているから。
わたしがほしい「お金」の正体が知りたいのです。

順番に切り分けて考えていこう。
また結論でないまま、書きながら考えてみます。


■1 わたしは「貯金(蓄え)」が欲しかったのか

もちろん先立つものは金だと知っています。
でも、どんどんお金の量(預金残高や資産)が増えればわたしの心は満足したのか、と考えると、それはたぶん違う。
「お金を持っている量」で幸せは決まらないと思っています。
だから、物質的な資産量はわたしにとって大事なお金ではない。

欲しいものはこれじゃない。


■2 わたしは「時間」が欲しかったのか

のんびりする時間がほしかったわけじゃないんです。
だって仕事は好きだから。
じゃあなぜ「時間がない」ということが不満だったんでしょう。
お金の量がいらないのなら、どんどん使って、お金で時間を買えばいいじゃない。
実際、家事代行を入れ、ベビーシッターを入れ、もちろん食洗機、乾燥機、お掃除ロボすべてフル稼働で、我が家はかなり時間をお金で購入しているほうだと思います。
それでもやっぱり「時間」は足りなかった。
物理的に時間を増やすことでは解決されなかったんです。

では、どんな「意味」を持つ時間が欲しいと思っていたのか。
子どもとの時間じゃない。でも仕事をしていても満たされない。
子どもか、仕事かみたいなどちらか論を議論しても答えにはたどり着けない。

そこで思考停止しちゃだめだ!!と根気強く考えた結果、わたしが欲しかったのは、自分が価値ある何者かになる時間、だったんだと思います。
わたしの生み出す何かが、価値があるものだと思える時間こそ
欲しくてたまらなかった時間でした。

■3 わたしは「評価」が欲しかったのか

年に2回行われる評価に興味がないと自覚していました。
なぜなら評価=給料やボーナスの額を決定するもの(お金の量に関係するもの)と思っていたからです。

でも、本当は評価されることは嬉しかった。
それは、お金が増えるから嬉しかったわけじゃなくて
上司に認められたことそのものが嬉しかったんじゃなくて
「あなたの仕事は価値を創出しましたね」という証明のようで嬉しかったんです。

会社から求められる仕事に意味を見出せなくなっていき
(これは自分と会社のお互いの成長や環境の変化により徐々に価値観が変わってきたせいです)
そうすると、会社から求められる仕事が上手にできなくなり
もちろん会社からも評価されなくなっていきました。
給料に反映するための評価はどちらでもよかったのですが
「あなたの力はこの会社には必要ないよ」というメッセージに感じてしまったんですね。
上司はそんなつもりなかったとは思いますが、わたしがそう感じたのは事実。
わたしは「評価」を「自分の生み出す仕事の価値」の指標と捉えていたのだと思います。

■4 なぜ今「金」が欲しくなったのか

フリーランスになり、わたしは今、時給で働いていません。
座ってるだけではお金は発生しません。
仕事の価値や成果に対してお金をもらっています。

会社員時代のわたしにとっての「お金」はどちらかというと
そこにいた時間に対して支払われたもののように感じていて
それが増えることに価値を感じていませんでした。
(きちんとコミットメントしてなくてすみません)

一方、今のフリーランスのわたしにとっての「お金」は
直接的に自分が生み出した価値の対価であり
それが増えることが、自分にとって価値のある時間(つまりほしかった時間)が増えた結果を意味します。

だから、お金が欲しくなったんです。
お金に対する意味が変わったから。

■5 では、わたしが本当に欲しいものは

わたしが退職するときに
・「いらないもの」=お金
・「いるもの」=好きなことをする時間
と分別したものは、たぶん違う。

もっと正確に表現すると

・「いらないもの」=我慢する時間(つまり当時のわたしにとってのお金)
・「いるもの」=誰かにとって必要とされる価値を生み出す時間(つまり当時のわたしの理解では好きなことをする時間)

だったのかもしれません。

わたしにとって、今、
自分の仕事の価値に形を与えたもの、それがお金なんです。
だからほしいんだ!!!
お金がほしいぞ!
お金がもらえるような仕事をしたいぞ!!

(ここだけ切り取るとすごい発言だな……)


■6 ぶっちゃけて「安い仕事」を受ける意味

なんとなく結論が出ましたが蛇足的に
もうひとつ気になっていること。
仕事の価値=お金なら、高い仕事が嬉しくて、安い仕事は嬉しく無いの?問題について。

わたしは「金額」を見て仕事を選んでいません。
本当に、綺麗事じゃなく。
なぜなら単純にお金の「量感」にはあまり価値を感じていないからです。

発注金額は、わたしの仕事への期待です。
もちろんその金額をいただくからにはその期待に応えようとがんばります。
それなりのギャラをご提示いただくとやっぱり嬉しいです。
わたしみたいに無形の技術を売って生きる人には、やはり一般的には金は払いづらいものだろうとも思うから(見えにくいものに金ってなかなか払えないよね)、ちゃんとした金額をご提示いただくと、そのハードルを超えて期待してくださっていることがとても嬉しいです。

でも高い仕事ならなんでも受ける、
安い仕事はすべて断るわけでは断じてない!!
どうやら、わたしにとって、お金=期待=やる気ではないようです。

これは、コスパ悪いぞ(かける時間に対してギャラが少なそうだぞ)という仕事もありますが、そういう仕事をやる意味。

わたしにとって、その場で、”その仕事”が「金」の姿をしていることはそんなに大事じゃ無いんだと思います。
その仕事がわたしの血肉となり、新しい価値を生み出す力に変わるのなら
その数ヶ月後か、数年後かわからないけど、”その仕事”はタイムラグを経て「お金」という形に姿を変える。

わたしにとってお金は、自分の仕事の価値をはかる指標です。
言い換えると、「うみだした仕事の価値」に形を与えたものがお金です。
今その場でお金の形をしているかどうかは大事じゃ無い。
だってわたしがほしいのは「自分が価値を生む時間」や「力」なのだから。

あなたにとって、「お金」ってなんですか?
その答えの違いが、金銭感覚やお金に対する価値観の違いといえるのかもしれません。
これを読んでくださったあなたにとって
「何」に形を与えたものが「お金」ですか?
何が増えると嬉しいですか?
何が減ると悲しいですか?

なぜお金が欲しいのですか?

なぜお金がいらないのですか?

いろいろな人に話を聞いてみたいな、と思いました。

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