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39年生きた女の半生を綴る。20年戦い抜いた線維筋痛症の人生

私は、現在39歳ですが、9歳から「線維筋痛症」の痛みと付き合っております。
長いものでもう20年も付き合っているんですね。・・早いものです。
ーーー幼少期は痛くてたまらなかった症状もよくなり、現在はほぼ痛みのない生活をしています。
そんな女の人生の半生を綴ろうと思います。

それは始まった・・。

9歳のころインフルエンザになりました。
何故かその時に足の指先が痛くなりました。「痛い・・痛いよ・・」
両親にはその事しか伝えきれず、病院へ行っても『原因不明』でした。

24時間365日縛り付ける痛み。夢は「意識不明」になる事でした。

インフルエンザの発生から、痛みと付き合う人生になりました。
ご飯を食べる時間も、お風呂の時間も、寝る時間も「痛み」は常に私の隣にあって
私に休息などありませんでした。
熱が下がっても足の指先が痛いので、病院へ行ったのですが、医者の出す答えはいつも「わからないですね」でした。
ーーー結果はいつも「原因不明」でした。
「痛い・・・痛いよ」---口から出る言葉は痛みに関することばかりです。
痛みは、体を動かしたとき、お風呂に入った時
「血液循環が良くなった時」に痛みは発生するようになりました。

「原因不明」というものが自分を否定している感覚になり、私を言いようのない虚無感が襲う。

「原因不明」というものがどこか、『お前は理解するに当たらない人間』と
吐き捨てられているように、言われているような感覚になりました。
「人に話して理解してもらう」---期待して何になるの?意味はあるの?
そういった行動も初めから諦めていました。

「痛みから解放されたい。頭と心を別にしたい」ーーーやがてそう願うように。頭の中には常に「死」の文字ーー希死念慮が強い日々

人と違う自分。同じにはなれない自分。
人が出来る事が自分には出来ない。
---例えば、コンビニのアルバイトの時です。
500mlの飲み物は重いです。それを動かすことが苦しみでしかない。
商品陳列の際の後ろの商品を前に出す行為がーー「痛い」
15時に行ってた新聞を陳列する行為がーー「痛い」
ーーー人にとったら何でもない事です。何でもない事でも私には苦痛でしかありませんでした。
「できない時」言葉なく涙だけが溢れました。
涙があふれて止まらないとき、ポケットにしまってあったカミソリを握りました。
「本当に苦しくて辛くなったら腕を切ろう」---そうしてバイトの時間を耐え忍んでいました。

左腕にある十数本ある腕の傷。
形成外科で消そうとも思ったけれど、「過去の自分を」自分で否定している気がして私には出来ませんでした。

苦しい時・どうしようもない時。
痛みで支配されて何もできない。悔しい。---そんな時はポケットに忍ばせてあったカミソリを握りました。
【どうしようもなくなったら切ろう】それが私の逃げ道だったんです。
私は、どんな自分も自分だと思っています。
腕を切って耐え忍んでいたのも私です。今、痛みから解放されて生きている私も私です。
全部大事な自分自身だから、人からは「異形の目」で見られたけれど、病院で消すことは私には出来ませんでした。
どんな時もどんな瞬間も大事な大事な自分自身です。

あるアルバイトで出会った女の子とのランチの時間

ある別のアルバイトで出会った女の子と話すようになってランチへ行った時でした。
季節は夏だったでしょうか・・・あまり覚えてはいませんが腕は出ていたので夏だったんだと思います。
ある瞬間「腕」を彼女が見ました。見ただけで彼女は何も言いませんでしたが【異形】だと思ったんでしょう。
ランチへ行った後から連絡が疎遠になりました。
「“ああ、変だ。オカシイ人なんだな”って思われたんだな。」って思いました。

「私には救いなんて訪れない。どうせこのままなのだとしたら29で人生を終わらせよう」

どうせこのままなのだとしたら。どうせこのまま痛みが存在し続ける事を前提とするならば。
人生の終わりぐらい私に選択肢があってもいいんじゃないか。いいだろう?なあ、お前もそう思うだろう?
ーーー誰でもない誰かに問いながら、どこか空虚にそう思った。
「このまま痛みが存在するのであれば、29歳で人生を閉じよう」---私は心の中でそう決意した。

バイトをしながら「死」を思う生活。
あるアルバイトでの担当はぬいぐるみ陳列の仕事だった。

痛みを抱える生活。誰にも言えない。『誰かに伝える』という選択肢がそもそも私には存在してなかった。
笑顔でその場を取り繕っていた。取り繕いながら心の中はどろどろした黒い液体が流れているような気持ちだった。
ーーーある、おもちゃ屋のアルバイトで私はぬいぐるみ陳列の仕事に就いた。
線維筋痛症の痛みの特徴は全身のあらゆる場所に痛みが『移動する』事である。かくいう私も、発生当時は足の指先だったものが、手の指先に移動していた。
仕事をしながら、手の指先が痛みで仕方なかった時、ぬいぐるみに触れた。
痛みで冷や汗をかいている指先に、ぬいぐるみの柔らかい感触が触れると
何故だか泣きたくなった。仕事中泣くことは出来ないので、涙をこらえながら仕事をしていた。
言葉ないぬいぐるみたちから「大丈夫だよ」と慰めてくれているような気持ちになった。私はギューッとぬいぐるみを抱きしめた。
ーーー売れない期間が長いぬいぐるみはセール品として、セールになっていた。私はどこかいたたまれない気分になって、セール品のぬいぐるみを買って持ち帰ることも頻繁にあった。

ある日、おもちゃ屋のアルバイトでお客とトラブルになったことがあった。
夏は暑く、冬は寒い倉庫での作業はとても辛いものがあったし、トラブルがあったことでおもちゃ屋はそれを機に辞めることにした。

ほんとうは家に引きこもりたかった。しばらく引きこもって生活をしたかった。けれど私には許されなかった。親に「あんたを食わせるお金なんてうちにはないよ」そう言われて仕方なくまたアルバイトを始めた。

取り留めない、なんでも無いことが出来ない苦しみ。
人に話して、何人が理解してくれるというのだろう。

見た目には常人と変わらない。それがまた理解へのゴールを遠ざけるものであったと思う。
小学4年生~中学の頃は体育をよく見学していたので、担任に「君は本当に頑張ったことがあるのか」そう言われたことがあった。
私の長所は素直なところなので、私は素直に「そうかもしれないな・・」と思った。(素直なところは悪いけどかなり誇れる性格であると思う。)
痛みがあるのに私はその年のマラソン大会に参加するのである。
汚らしい太い太ももをブルブルさせて走る姿は、相当醜かったと思うし、
ちょっと恥ずかしい。だけど参加して良かったとも思う。

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