椹木野衣『戦争と万博』を読む。

 浅田孝、磯崎新など、1970年から開催された「大阪万博」に関わった人間たちを軸に、「人類と進歩の調和」をスローガンに開催された大阪万博と国家の関連性や、大阪万博と震災・戦争との繋がりを明らかにする一冊。

「明るい未来」を標榜する万博ではあったが、椹木は「未来」とは「過去」からしか生じ得ないものであるとしながら、「大阪万博の「未来」は、それが提示された瞬間から、直後には廃墟化せざるをえない宿命を孕んでいた」と指摘する。また、「大阪万博は、成長の危機にさしかかっていた日本社会の抱える矛盾を隠蔽し、いっそうの成長へと向けて再設定する、国家のイデオロギー装置としての機能を担わされていた」と大阪万博の「効能」を定義づけている。さらに、「大阪万博は日本国にとって二重の意味で象徴的意義を持っていた。ひとつは、それが明治維新によって近代化を果たして以来、百年の計を総括するという意味を持つということ。第二に、紀元二六〇〇年博の開催に挫折した万国博を「復興」することによって、「敗戦」の事実を帳消しにするということ」とし、「復興」というキーワードを使って万博が担わされた意義をまとめる。

 奇しくも、私がこの本を読んだ2019年11月からおよそ8ヶ月後には東京五輪が行われ、そして2025年には愛・地球博以来20年ぶりとなる日本での万博が大阪で開かれることが決定している。1964年に東京五輪、1970年に大阪万博という時間的なスパンも符合している。これは偶然の一致なのだろうか。それはさておき、この55年の時を経た「五輪ー万博」の流れにはどのような共通点、差異があるのだろうか。それらを探るヒントとして、この椹木の著作は大きなヒントになり得る。

 これも偶然だろうか、今回の五輪も「復興五輪」という二つ名を持ち、東日本大震災からの復興を国内外にアピールする場として設計されている。「復興」という部分では、敗戦からの「復興」をテーマとした64年五輪、万博と共通している。しかし、椹木も2015年の記事で指摘しているように、2020五輪の予算は2兆円規模にまで膨れ上がり「五輪やる金があるなら復興にまわせ」という批判の声が大きくなっている。すでに五輪が復興の象徴になるのではなく、復興の「足枷」になっているのも事実である。

 万博に関しては、70年万博は「未来の提示」がテーマだったのに対し、25年万博はコンセプトとして「未来の実験場」という言葉が掲げられている。つまり、万博の場には「未来」そのものが出現することはなく、あくまでも発信者と来場者が双方向的に未来の可能性を模索し、創造していく場として設定している。そこには「月の石」という「人類と進歩の調和」を象徴するものが「一方的に」展示されるのではない、はずだ。そういう意味では70年万博のような国家イデオロギーの装置としての役割は薄いのかもしれない。
 一方、万博のホームページの中にははっきりと「この力を2020年東京オリンピック・パラリンピック後の大阪・関西、そして日本の成長を持続させる起爆剤にします」と書かれている。ここからは東京五輪が終わったあとに日本の経済は衰退し、その五輪ロスから「復興」するための万博、という役割が担わされているようにも読める。そういう意味では経済復興という「国家イデオロギー装置」という側面も持ち合わせている。

 五輪のアーティストの顔ぶれを見ても、もはや「前衛」は影も形も無い。大衆的に受け入れられている文化・芸能を象徴するメンバーが招集されている。70年万博では、本来ニヒリズムを基調とする前衛芸術家たちが「明るい未来」を標榜する万博に加担するという奇妙な構図が形成されていたが、今回の五輪に関しては、「明るい芸能」が「明るい祭典」に招集されていき、そこには迎合すらもない。ただ野村萬斎率いる「伝統」に関しては、もはや「伝統」のパロディ、コラージュでしかない。ラグビーワールドカップの試合では、中央からボールを蹴る際に歌舞伎などで使われる「掛け声」が使用されていた。あれは「伝統」を分解し、一部のみを利用して「つぎはぎの日本」を形作っている行為に他ならない。こうした伝統のコラージュは、むしろ「前衛」と呼べるのかもしれない。破壊し、消費するところにしか「伝統」は生き残ることができない。そうしたつぎはぎの「日本」に、大阪万博の廃墟に残されたもので構成されている、ヤノベケンジの「ビバ・リバ・プロジェクト - ニューデメ -」の姿が重なって見えるのは私だけだろうか。

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