【ゆっくりSS】F市の運動公園


 F市には「ゆっくり」と呼ばれる生き物が多く生息している。

 ゆっくりは、小麦粉の生地の肌、寒天の目玉、歯は飴細工で、髪の毛は砂糖でできている。内臓や筋肉にあたる部分にはあんこがぎっしりと詰まっている。子供はテニスボールほどの大きさで、大人はバスケットボールほどの大きさだ。拙いながらも日本語で会話をして、群れを作って生きている。人間もどきの饅頭生物だ。

 彼らの多くは群れを作る。森や茂み、公園、河川敷、廃墟の中を探せば、彼らの棲家がすぐ見つかるだろう。

 群れは“おさ“という名のリーダーによって統制されている。おさの役割は、群れの知恵袋や荒事の処理、群れのルールの制定など、人間で言うところの行政を司っている。賢いおさは裁判のようなことを行なったりもする。おさはその権威で群れを管理し、皆がゆっくりできるようにするのが役目だ。



 F市運動公園の一角に一つの群れがある。その群れのある場所はイチョウの並木道のそばにあることから、“イチョウの群れ“と呼ばれている。

 イチョウの群れは“地域ゆっくり”として認められていて、F市の管理下でゴミ掃除や流れ者の野良ゆの撃退などの仕事と引き換えに、その場所での居住を認められている。地域ゆっくりとは言っても猫のように餌がもらえたりするわけではないので、群れのゆっくりは各々雑草や虫を取って生きている。

 そのイチョウの群れに一匹の不思議なみょんがいた。

 みょん種は銀髪で黒いカチューシャをしているゆっくりだ。れいむ種、まりさ種、ありす種などと並んで、いわゆる基本種として有名だ。木の枝などを“はくろーけん“と称して外敵の退治や穴掘りに使ったりする比較的器用な饅頭だ。

 そのみょんはとても賢かった。誰が教えたのかは定かではないが、植物がどのように生えるのかを知っていた。種を植えて、水や肥料を撒き、大きく育ったものを収穫し、その収穫物からまた種を取ると言うサイクルを知っていた。3以上の数を「たくさん」としか認識できないような低知能なゆっくりにしては革命的な天才だといっていいだろう。

 大体のゆっくりは植物は勝手に生えてくるものだと思っている。なので公園に植えられている花や畑の野菜を貪る野良ゆっくりは後を絶たない。地域ゆっくりの饅頭たちは人間の作った野菜には手を出さないが、安定した住処のために渋々受け入れているだけであり、公園の花壇に植えられている美味しそうな花や草を見るたびに喉から手が出そうなほど羨ましく思っているものだ。



 みょんは花壇をはくろーけんで耕して、どこからか手に入れた種(おそらく定期的に山から降りてくるゆっくりから手に入れたもの)をこっそり撒いた。撒いた場所には定期的に水をやり、雑草を抜いたりして世話をした。

 群れの他のゆっくりはみょんを不思議に思った。

「へんなひまつぶしなのぜ。みょんはあんこさんがおかしくなったんじゃないのぜ?」

「おしごとさんじゃないのに、くささんをぬくなんていやしんぼさんだね!」

「わからないよーわからないよー」

 実際イチョウの群れはゆっくりが食うには困らない場所だ。
 
 近くの広場では夏に大量の雑草が生えるし、そこに虫も寄ってくる。運動公園ということもあって部活動をしている学生達が多く、ゆっくりを可愛がってお菓子や食べ残した弁当をくれたりもする。食事と睡眠とセックス以外にはそこまで興味のないゆっくりにとってはそれなりのゆっくりプレイスだ。

 みょんも何か目的があってやっている訳でもなかった。単純に、思いついたからやってみる、動機といえばそれぐらいしかなかった。

 何ヶ月か経つと育てていた植物が大きくなった。みょんはそれを一口食べてみた。少し苦味はあったが食べられないことはなかった。アブラナに似ている何かしらの交雑種で何という名前もない草だったが、みょんは嬉しかった。

 それからもみょんは草を栽培し続けた。面白がった人に種や肥料を分けてもらったりして、ジャガイモや大根などちゃんとした野菜を作った。野菜を作るゆっくりとして近所で評判になり、少しだけ花壇の使えるスペースが増えた。それに合わせて収穫量も上がっていった。



 みょんは一代にして農業というゆっくりにとっての産業革命を起こした。

 多くのゆっくりがみょんと野菜とを物々交換にやって来た。その中にはかつてみょんを笑った仲間もいた。物々交換に来るゆっくりの中には同じ運動公園の別の群れのゆっくりや、隣の市の遠く離れた群れからやってきたゆっくりもいた。

 彼らは虫や雑草などの食料や、ビー玉や捨てられた雑誌などを野菜と交換しようとした。みょんは快くそれらと野菜を交換した。

 おさのまりさはその様子を見て歯痒く思っていた。

 みょんはおやさいさんを生やす特殊な技術をもっていながら、それを下らない雑誌やらビー玉やらのゴミと交換しているではないか。それのみならず、今ではみょんの人気はおさである自分を上回るほどなのだ。気に食わない。

 おさまりさは新しいルールを作った。

・むれのものはみんなのもの
・むれのものはおさがかんりする
・ひとりじめはゆっくりできない


 みょんには野菜を世話して収穫する仕事が与えられ、収穫物は全ておさが管理することになった。無欲なみょんはこれを快く受け入れた。

 収穫された野菜はおさによって管理された。今までのようにゴミと交換されることはなくなり、野菜は食べ物、あまあま、他の群れからの情報と交換されるようになった。

 余った野菜はおさを含めて群れのゆっくりに均等に配分された。みょんにも野菜は当てられたが、日々の労務に比べて充分とは言い難い量だった。



 みょんはどんどん農業が上手になり、収穫できる野菜の量は増えていった。その腕前はのうかりんにも引けを取らないほどになった。

 当然だが、ただ水をやり、雑草を抜くだけでは野菜は育たない。野菜を狙う外敵は街中でも大勢いる。野菜が美味しくなるにつれてカラスやネズミや野良猫などが野菜を食べたり傷をつけたりするようになったのだ。

 みょんはそれらの外敵と戦い、怪我を負いつつも撃退していた。みょんは戦いを経るごとに、より大きく、より硬く、より強くなっていった。おさのまりさもバスケットボールより1回り大きいほどの大きなゆっくりだったが、みょんはそれより更に一回り大きくなっていた。

 大柄で逞しく賢いみょんは色んなゆっくりから言い寄られた。みょんは野菜の世話が忙しかったので全く無視していた。そんな感じで色恋沙汰には全く縁がないみょんだったが、隣の群れのおさの娘のうどんげがみょんのところに嫁入り(婿入り?)することになった。これはみょんが独身なのを心配したおさの計らいだった。

 重労働の割に貧しい家族だったが、みょんとうどんげはそれなりーにしあわせーに暮らした。


 みょんとうどんげに子ゆっくりが生まれた。みょんとその子供達は力を合わせて畑を耕し野菜を作り、群れへ捧げた。子供たちもみょんと同じく賢く強く逞しいゆっくりになった。

 農業をするゆっくりとしてこの家族は有名になった。畑はどんどん広がっていって、群れは豊かになった。相変わらずみょん一家は仕事の割に貧乏だったが、群れのスターとしてみんなから尊敬される人気者家族だった。

 みょんの子供達はおさの子供や隣の群れに嫁入りして、みんな母親になった。



 ある日、みょんが動かなくなった。子供達、孫たち、群れのゆっくりたちは悲しんだ。みょんは満足そうな顔をして永遠にゆっくりした。

 みょんの体は傷だらけで、カチューシャもボロボロだった。家も粗末なものだった。群れのために大きな貢献をしたみょんは、その貢献に見合わない、僅かな報酬しか貰っていなかった。

 しかし、みょんやみょんの家族は一度も不満を漏らさず、ただひたすら働き続けたのだった。



 イチョウの群れ以外でもみょんを真似て野菜を作ったり、道具を作ったりするゆっくりが現れた。そのゆっくりが作るものも群れの共有財産とされて、群れの構成員に配分されたり群れ同士の取引に使われた。

 それぞれの群れが群れ内部の生産手段を社会化した結果、運動公園におけるゆっくりの社会は高度に資本主義化していった。

 運動公園にあるゆっくりの群れは豊かになった。その豊かさの底にはみょんと同じような賢く無欲な饅頭の自己犠牲があったことは言うまでもない。

 子ゆっくりたちは取引のために“がっこう”で3以上の数を数える勉強をしたり、ひらがなを勉強したりするようになった。

 運動公園のゆっくりは全体的に賢くなっていった。



 英才教育がなされてゆっくりの知能は飛躍的に高まったが、ゆっくりはゆっくりだった。どれだけ賢くなったとしてもできる限りゆっくりしたいのだ。頭脳労働は雑草を抜いたりゴミを拾ったりするよりもゆっくりのあんこを苦しめる。考えれば考えるほどゆっくりのあんこは流動的になり、激しい吐き気や頭痛を引き起こす。

 群れの上層部のゆっくりたちは、できる限り現在の生活水準を落とすことなく簡単にゆっくりする方法を考えだした。それは奪うことだった。他の群れとの取引はよりシビアにしたり、ゆっくり流の権謀術数によって群れの領域を広げたり、労働者の取り分を少なくして自分たちに当てたりした。

 不思議なことに、みんながゆっくりするより、自分がゆっくりすることを考える時はあんこが痛まないのだった。

 野菜を作る労働者ゆっくりたちは今まで以上に貧しい生活を強いられた。食うに困って家族を売るゆっくりまでで始める始末だった。

 無欲な労働者のゆっくりの中にも不満を漏らす者が現れ始めた。自分たちが一生懸命働いているから群れは豊かになっているのに、自分たちの生活は全然ゆっくりしてない、こんなの絶対におかしい。そういった声は日に日に強くなっていった。

 今まで清貧を貫いてきた労働者たちだったが、奪われたことを認識して初めて、配分を元に戻すだけでなく、“より“正当に配分すべきだと思い至った。

 運動公園から“ゆっくりのひ〜まったりのひ〜“という間抜けな歌声が消えた時、大騒動が起こった。

 群れの上層部の思惑と下層部の思惑が、知能の向上という潤滑油の下、最悪の形で歯車が合致してしまい、群れ同士と群れの構成員同士が殺し合いを始めたのだ。それぞれのグループの陣頭に立ったのは強く賢いみょんの子孫たちだった。

 野球場やテニス場は潰されて食いちぎられた饅頭の残骸だらけになり、トイレはあんこで詰まり下水が逆流し、あんこどころかうんこの臭いで運動公園は覆われた。お互いへの憎悪が加熱したゆっくりたちは食いちぎった敵の身体があまあまだと気づいたらしく戦闘員による同族喰い戦法(命名はAQN)が横行した。

 同族喰い戦法が流行った理由の一つに食糧難がある。畑として使われていた花壇はぐちゃぐちゃに荒らされてしまい食料の供給もままならなくなった結果、非戦闘員のゆっくりはそこら中に散らばっているゆっくりの死骸を集めて食べたが、死臭の漂うカビの生えた死骸を食べてストレスが溜まり非ゆっくり症を発症したり、ゆカビで苦しむようになったのだ。同族喰いは殺し合いの中の生存戦略的に最適解だった。

 運動公園は非ゆっくり症を発症したゆっくりたちの雄叫びやゆカビが発症した家族の悲鳴、親を失った子ゆっくりの泣き声で溢れた。

 その光景はマスコミによって全国中継された。その結果、ゆっくりたちのあんこをあんこで洗う激しい殺し合いに興奮した選りすぐりの鬼威惨が全国から10人ほど集まり参戦した。

 鬼威惨はゆっくりたちを殺して巨大な京観を作った。無惨な同胞の死体を見て復讐心に駆られたゆっくりたちを捕まえて拷問、強姦する光景が◯コ◯コ動画にアップロードされたりした。

 F市はお盆休みでその惨状への対処が遅れたことが災いして、戦争が終結したのは約3日後だった。

 市の発表によるとおよそ700頭のゆっくりが戦死し、1200頭が病死した。500頭のゆっくりを殺した鬼威惨たちは市の迷惑防止条例やゆっくり保護条例で逮捕され全員が書類送検された。生き残ったゆっくりも再発防止のためにとりあえず500頭が駆除された。



 戦争が終わって平穏が訪れた。

 賢いゆっくりたちはほとんどいなくなってしまって、頭の悪い普通のゆっくりたちが番いを作り子供を産み増えていって、雑草を抜いたりゴミを拾ったりする普通の運動公園に戻った。

 みょんの子孫はイチョウの群れにわずかに生き残っていた。過去、自分の一族がしていたこと、それが全て裏目に出て何もかも滅茶苦茶になってしまったことを、彼らはずっと覚えていた。

 豊かになったところでどうにもならない。賢くなったところでどうにもならない。そんなゆっくりの運命を感じたみょんの子孫たちは、ぐちゃぐちゃに荒らされた花壇を見て、ただ、

「ちーんぽ」

と、つぶやくことしかできなかった。

 みょんが野菜を作り始めてから3年が立っていた。

おわり

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