親が実家からやってきた!ドタバタしたけどしんみり・ほっこり……じゃねえよ!! 偏屈な独身男は毒親による再生産? 2019年10月29日放送「まだ結婚できない男」で感じた違和感について

※本文はあくまで個人的な読解です。結婚しても・しなくても楽しく生きていけるじゃあないか、というだけのコメディードラマではなかったのか?もっとメッセージ性を持つ作品だったのだという私の思い込みです。字幕表示してメモしている訳ではないので台詞については原文通りではなく、そういうニュアンスだったよね、という極めて主観的で適当な感じです。

簡単に、あらすじを

 冒頭、阿部寛演じる主人公・桑野は、色々な性格診断を試しているようで、あらゆる結果において「傲慢」「自信家」「傲岸不遜」「自分に正直になりましょう」などと診断される。それを「くだらない」と一蹴したところに姪と妹から「お母さんがそちらを訪ねるだろう」と電話連絡が来た。草笛光子が演じる桑野の母は自宅が水漏れ工事のためしばらく空けなくてはならず、普段はよく遊びに行く娘(桑野の妹・西川理恵子)の家も喧嘩したため、頼れるのは、独身貴族の城(高級マンションの一室)を守る桑野の家しかなかった。桑野はスマートスピーカーを駆使した居留守策を講じる。(13年前のシリーズを思うと何とも現代的である。)前回のラストで、ジェイソンだか何やら分からないが本格的な仮装で桑野が一人ハロウィーンしていたことを考えると、物語時間軸は11月1日以降である。お茶目でチャーミングな老婦人・草笛光子、前シーズンでは入院もして健康にも一抹の不安があるだろうに、寒空の下に居留守を使って老人を追い返すにはいささかも憚らなかっただろうか?その居留守も隣室に住んでいる女優業の成功に励んでいる若者役の深川麻衣によって暴かれてしまう。「俺は部屋に人を入れない主義なんだ」「その主義はなんの役に立つの?」と母親に一刀両断され、しばらく母親と同居することになり、桑野はウンザリする。という導入。

 いわゆる“離れて暮らしている登場人物のもとに両親兄弟親戚等々がやってきて、ドタバタだったり、ほっこりしたり”という、ドラマ他フィクション物語ではよくあるパターンである。これは決して使い古されて面白くないとか、若者の経済的困難や介護のせいで単身世帯は減っているのでモデルとしてふさわしくないだとか、そういった使わない理由を並べるよりも多くの利点がある。
 例えば、散らかった部屋を綺麗に掃除してあげ・普段はコンビニ飯だけど帰ればおふくろの味が待っていた。そういった母の気遣いに照れて憎まれ口を叩きながらも礼を告げる主人公にキュンとしたり、孤独なヒロインが家族のぬくもりに触れてほろりとしたりする。
 あるいは生い立ちや子ども時代の話をすることで、他の関係人物に話して印象が変わり、ミステリー・サスペンスなら謎が解けたり更なる謎が深まったり、ラブコメなら好感度が上がる・その後のストーリー展開を盛り上げるターニングポイントとなる。
 連ドラならこれで1話稼ぐことができるし、映画ではそれ自体を題材にすることで、人々の関係や感情の機微、社会問題など、様々なテーマを訴えかけることができる。

 今回の話の中でも桑野がまさにその状況だと言った『東京物語』など、名作はいくつも上げられる。(桑野を演じる阿部寛自身も、是枝監督の『歩いても 歩いても』『ゴーイングマイホーム』など、親子の久しぶりの再会に〜を題材・切り口にした作品に出演している。)桑野は事務所で一緒に働く若者たちにこんな名作も知らないのか?と、イマドキノワカイモンハな感じで簡単に説明する。「上京してきた老人が、子どもたちにたらい回しされて、死ぬ」と。シリーズの特徴的な阿部寛のコミカルな雰囲気で語られると、面白おかしくもとれるが、そうと知って母を邪険にしている桑野はなんとも辛辣、孤独を愛しすぎてあまりに冷酷ともとられかねない発言だ。(昨今の政治家なら辞職ものである。)
『東京物語』といい、吉田羊が演じる弁護士を訪ねてリフォーム工事事業者に仮住まいを用意させる相談をする、仕事で出かけている間は勝手なことをされまいか、前シーズンでパグ犬のケンを預かった時に使った遠隔カメラで母親の様子をモニターするなど、桑野は母親が自分の家にいることを迷惑がっている様子は、分かりやすく劇中では表現されている
 勝手な模様替えやお節介・青春時代の秘密暴露など、親子喧嘩して飛び出すもまあ最後は仲直り、家族ってイイよね!というのもやはり愛すべきテンプレートである。この4話でも、休日にカルッパッチョを作るために熟成させていたカレイを、母が煮つけにしたことで桑野は怒った。(一緒に食卓に並んだ卵焼きがおいしそうだった。東京のランチで1300円~ぐらいの煮つけ定食な感じだった。)いつもの皮肉調でグチグチと言う桑野に対して、母親も「料理を作ってあげたことに感謝もないのか?」「あんたは結婚しないほうがいい」「不幸な女性を増やしてはいけない」「私の育て方が間違っていたの?」と、なかなか刺さる罵倒や文句の言葉を畳みかけ、出ていってしまう。そして一人残った桑野は、母の作ってくれた煮つけを黙って一口食べる……。母を探しに出かけると桑野の隣の部屋で誕生日パーティーをしていて、素直になれないながらも苦労して用意したプレゼントもどうにか渡せた。「いつまでも一緒にはいられないからねえ」と、なんとも切なくなる草笛光子の台詞があり、帰っていく母を見送る桑野。。。

 次回予告も済んで、TBSの『G線上のあなた』を待機するためにチャンネルを回し(毎週「最近のフジテレビが面白いドラマをやっているわけない」という個人的な印象から日テレかTBSだろうと定刻を待っていたら別の番組で慌ててチャンネルを回す)、『マツコの知らない世界』は時間いっぱいまでやっているのか、なんて眺めていたところでたまらず呟いた。「これ炎上してないか?」と。

 私が気になったのは、あまりに母親が横暴で理不尽ではないか?という点だ。“地方田舎暮らしの親と都会で働く子どものすれ違いでしんみり・くすり・ほっこり”などと言うには、あまりに“すれ違い”が酷くない?という。
 部屋の掃除ついて、桑野は普段から部屋は綺麗にしていて、フローリングは重曹を薄めた水拭きでないといけないし、リモコンなど物の配置は決まっている。掃除している様子を監視カメラで見られて咎められるのは何とも気分が悪いに違いないが、「やめてくれ」という桑野の言葉に対して母親はモニターをカメラに帽子を被せて遮断してしまう。鼻唄交じりに勝手な掃除は続く。。。
 料理について、桑野が休日の楽しみにしていた食材を勝手に使われてしまう。そのことに落ちこんでいるところに「料理したことに感謝しろ」「私の育て方が間違ってたの?」は1日の仕事を終えた桑野に対してひどい仕打ちではないだろうか?

 私には本気で「やめてくれ」と言っているのに、「お前のためを思ってだ」と言い訳やきっとその現場では愉悦の表情を浮かべながら言っているであろう口上を、羽交い絞めして激辛カレーライスを無理矢理食べさせるようなイメージが浮かんだのだ
 汚部屋がキレイになるとか、外食ばかりだけど煮物の味が懐かしいとか、生活環境が向上して「ああ、家族のぬくもりだね」などと目を細めるほっこり装置は今回、家事について完全自立して一人暮らしにアイランドキッチンの桑野啓介には発動しなかったのである。
 理不尽な糾弾・非難に遭って煮つけをもそりと食べる阿部寛の姿が、私の中では、被害者が有給を消化して出勤せず自宅で震える姿に重なったのだ。明確な謝罪の言葉を言わずに、まあ何となくでその後も運転していくのは、家族も職場もよくあることではあるが、それでも「母親の親切に対して桑野が冷たい」みたいな画面の雰囲気は「なんか違う」と、私は思ったのだ。

 そういえばと、今回の話を振り返る。母が襲来する前に説明された、桑野の妹が母親と喧嘩した内容は「私の口が悪いのはお母さんの影響じゃないか」などと言いあったりしたものだという。冒頭の性格診断に、なんだか突飛だなと、思っていたが「傲慢」という二文字は桑野母の今回の行いについても指すのではないか?

 ああ、冒頭の伏線につながった。そしてタイトルにも響いた。メッセージ性がある。この物語は美しい、そう思った。

 つまり、桑野が結婚(したいと思うかはともかく)するにあたって最大の障壁である「偏屈で傲慢な性格」というのは、生まれてから一緒に暮らした母親からの影響ではないだろうか?というのが私の今回主張したい重要ポイントである。「デリカシーがない!」などと吉田羊にぷんすこされる性格や人間性は再生産されたものなのだ。DVを受けた子どもが自身も親になって過ちを繰り返してしまったように、学歴や年収の「身の丈」は親から子へ同等以下になることが統計で示されているように。

 まあ、炎上云々は私の杞憂であった。現在の私は絶賛ニ―活中で実家住まいなので、同じテレビ画面を見ていた母に「今回の話は拙くないだろうか?ちょっと毒親みたいで草笛光子さんの印象が悪くならないだろうか?」と訊いたが、
「親ってのはこういうものよ、いいじゃない」と、何を訳の分からないことで怒っているのだ、そんなことよりハローワークに行け(行ってるけどワークがハローしないんじゃい)という、母のすげない返答ばかりである。承認欲求が無暗に高いニートはTwitterで「結婚できない男 母親」で検索したが、同志は3・4人ほどしか見つからなかった。他はどうだろうか?それともみんなは今回の話は“子どもが変わった性格だけど、それはやっぱり親に似たんだよね、チャンチャン”な話であるということは見抜き・分かりきった話で、感情移入してカルパッチョが煮つけになったことにムカっ腹を立てたりカレーや自分の過去へとフラッシュバックしたりの私は「まんまと」話づくりの上手さに引っかかった愚か者なのだろうか。数人とはいえ、ネットの海に似たような意見を見つけたので、あまりに自分を卑下するのもどうかと思う。
 『ミスタービーン』のロワート・アトキンソンに通じる阿部寛のコミカルな演技とか、夏川結衣や吉田羊がニコニコしながらノータイムで皮肉やツッコミをするのにくすくす笑う作品、あるいはパグ犬の愛嬌にキュンキュンする映像だとゆるく構えて見ていたので、今回の話、“結婚できない男は性格が悪いが、それは独りよがりに親切を押し付けるような傲慢な母親の影響でもある”ということに驚いたのだ。どこまで企図したのか、私みたいに陰惨なイメージを浮かべた視聴者はどこまで想定していたのか、というのが気になるところなのである。これで嫌いになったもう見ない!わけではなく、むしろ今までダラっと見ていたのに(を私が勝手に受信したんだけど)こんな深いメッセージあったなんて!と、冒頭につながる物語の収束した美しさに惚れ惚れしている。来週以降も「ケンちゃん」もとい「たつお」の活躍が楽しみである。
 
 前シーズン『結婚できない男』は、「ユニーク」な性格のため、結婚するには難があるだろう桑野啓介の日常を楽しむ物語だ。視聴者の独り者は共感や励ましを得たり、既婚者は独身時代を振り返ったりして楽しむ。子ども時代に見ていて、自分が結婚して妻と見ることになるなんて、というツイートもあった(やはり中学生の頃に見ていた私は自身を顧みて「この差って~ナニ~?(声:ジョン・カビラ)」しばらく落ち込んだ)などの楽しみ方で見つつ、ヒロイン(というかマドンナというべきか)女優らが演じるそれぞれの女性像も、それぞれの視聴者の代弁者になり、結婚について思うところを様々な角度から発信していた。どこまで意図・企画していたかはともかく。夏の夕方に繰り返し再放送されているのは(某役者がお縄頂戴したので途中カットされたりもしていたが、その違いを探すことさえ)何度見ても面白かった。
 様々な結婚観、結婚について思うところを13年経って、SNSでAIでタピオカな現代にアップデートしたわけだが、「結婚できない理由」について、「幼少期の家庭環境」「カエルの子はカエル」というキーワードが浮かんだ。
次回はメスパグが現れて画面にパグ犬が2匹いることになりそうだ。とても楽しみである。


note初めて使ってみました。どうすりゃいんだろコレ?な感じです。 普段はTwitterでブツブツ言ってるんですが、長々書いたものを世に見せる社会参加リハビリ的な。

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