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まずは自己紹介♡

はじめまして♡だいずと申します(❁´◡`❁)
この春、中学3年生と小学2年生になるふたりの男の子をもつ母です。
現在、ふたりの子育てに日々悩み奮闘中です。

姉妹で育った私にとって、男の子の子育ては未知の世界…
長男が生まれた時から現在まで、子育てについては経験を積み分かったことがたくさんあります。
とはいえ”男の子”の生態は、いまだ謎に包まれたまま(笑)
自分が生きてきた世界とは違う、遠い星からやってきた🛸神様からの授かりもの??
いえ、預かりものを育てているといった感覚です。

長男と次男は7歳離れています。
その間、なにもなかった訳ではありません。
つらい経験も経て、3人家族として暮らしていくことを決意してすぐ…
次男はやってきました。
先天性心疾患という大きな荷物を背負ってやってきた次男が、私たち家族にとってかけがえのない存在となり、みんなに大きな変化をもたらしてくれました🌟

大変ながらも、家族で乗り越えた数年間を振り返ります。


次男を授かったとき

長男が幼稚園の年長さんのとき、次男が私のお腹にやってきました。
子供が大好きだった私たち夫婦は、ふたり目をなかなか諦められず、ご縁があればきてくれると希望を持ち続けました。

年齢的にもそろそろ限界かなぁと感じ始め、悩みぬいた結果これからは前を向いて3人家族で楽しく暮らそう♪と決意しました。
もしかしたら…ととっておいた、長男の小さい頃の洋服やおもちゃ、その他全部譲れるものは譲って、残りは処分してしまいました。

あきらめた頃にやってくる…
よく聞く話ですが、わが家も例外ではありませんでした。

年長さん最後の幼稚園行事の登山があり、家族3人で参加しました。
そのあと、おつかれさまの祝杯をあげようとした時、ふと呑んではいけないような気がしました。

もしかしたら…
という気持ちがわき上がり呑むのをやめ、すぐに検査をしました。

そして、次男は私たちの元へやってきてくれました。
気づかず登山をしてしまったことを心配しましたが、小さな命はおなかの中で育っていってくれました。

妊娠7ヶ月のとき

年齢的にも最後の妊婦生活。
ましてや何年も待ち続けた夢のような妊婦生活。
当時パートにでていて、仕事としてはハードなものではなかったけれど、エアコンがなく働く環境としては良いものではなかったため、暑くなる6月いっぱいで退職しました。

赤ちゃんは6ケ月の終わりころでした。
さぁ、最後の妊婦生活を目一杯満喫するぞ~と意気込んでいた私ですが、退職後すぐの7ヶ月健診で雲行きがあやしくなってきました。

2016.7.12 26週4日目
いつも通り、エコーを診ていた先生ですが、
『ん~ちょっと気になるなぁ…念のため大きな病院で診てもらおうかぁ』
一瞬頭が真っ白になりました。

私が心配しすぎることを懸念して、先生はあくまでも念のため…
少し心臓が大きいみたいだから、心配をなくすために診てもらってねと。
受診までの間まだ分からないことに対して不安になって、おなかの赤ちゃんに負担がかからないように、おそらく配慮をしてくださったのだと思います。
先生の言葉を素直に信じた私は、高齢出産だしきっと念には念をいれてるんだぁなんて、のんきなことを思っていました。

紹介状をもって

健診の帰り、私はすぐに先生に言われた病院へ予約の電話を入れました。
その病院は私たちが住む地域の中核病院でした。
(※中核病院とは地域の医療連携の中核を担う病院)
紹介状がなければ受診することが出来ない病院で、まさか自分がお世話になるとは思ってもいなかったのです。

でもまだその時は、事の重大さにまだ気がついていませんでした。
しばらく予約がいっぱいで2週間先でないと空いていませんでしたが、心臓というこもあり早い受診のほうが良いのでないかと、看護師さんが先生に確認してくださいました。

すると、翌朝9時からオペが入っていますが、その前ならいいですよ。早いけど来れますか?と時間を作って下さり、片道1時間弱のところに住んでいた私は、もちろん行きます!と返事をしました。

『ついていかなくていいの?』
という夫に、まだなにも分かっていない私は、
『ひとりで行けるから大丈夫!』
と、ほんの少しの不安はかき消して答えました。
そして翌日、言われた時刻に病院へ行きました。

診察の結果

2016.7.13 26週5日目
まずは、急な予約を受けて下さったことへの感謝を伝えました。
早速診察をしながら、先生に夫のことを聞かれました。
検査の結果を、できればふたり一緒に聞いて欲しいということでした。
そのために、仕事を急にお休みしてもらうことも考えられますが、調整がつきそうなお仕事ですか?と。

その時、私ひとりでは結果を聞くことができないくらいの事態なのだということを悟りました。そしてその時はまだ、私も先生もこの病院で出産するものだと思っていました。

診察を終え、待合室で待つように言われました。
そして再び診察室へ入室すると、少し慌てた様子で

『大学病院へ行きましょう。明日はどうですか?』

と言われました。
とにかくレアなケースで早く診てもらったほうがよいとの診断で、病名は告げられませんでしたが、大学病院の周産母子センター産科部長に直接掛け合い診察の予約をとってくださいました。
先生は、9時からのオペが迫っているにもかかわらず、親身に対応してくださり感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そして、あれよあれよと健診から3日目には大学病院へ行くことが決まっていました。

大学病院がある市内へは、フェリーと車で1時間半くらいの場所にあります。夫に急なお休みをとってもらい、ふたりではじめての大学病院へと向かいました。
両親には、この時点で報告と日記に記してありました。

いざ大学病院へ

まとめ

長くなってきたので、はじめての投稿はいったんここまでにしようと思います。
次男が生まれてからの数年間、幾度となく訪れる危機をなんとか乗り越えてきました。

3人家族で暮らしていこうと決意した私たちが一致団結して、わが家にやってきた次男を守るために、この数年間がんばってきた証を残したい。
そういう思いはあったけれど、振り返ることはつらかった経験を思い出すことにもなり、なかなか振り返れませんでした。

次男が7歳になり、当時小学校一年生だった長男の姿と重なり、こんなに小さかったのに気丈にふるまい頑張ってくれたことに、胸が詰まる思いです。
振り返ることで、支えてくれた家族や両親や友人たちへの感謝の思いを改めて感じ、頑張りぬいた自分自身のことも認め労ってやりたい…
そんな気持ちです。

あまりにも月日が立ちすぎて忘れていることも多いですが、当時のことを思い出しながら少しずつ書いていこうと思います。

ようこそ、わが家へ♡




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