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第48回「沢野ひとし師匠~無意味な世界を、ゆる~く勝手に意味づけなのだ」

 今回はタイトルからして、沢野ひとしさんの盟友である椎名誠さん風になってしまった。

 椎名さんは、旅行作家の大先輩で、椎名さんの著作に必ずと言ってくらいイラストを提供している沢野ひとしさんもまた、旅行作家としては大先輩である。御年75歳。

 最近「じじいの片づけ」(集英社インターナショナル)なる著作を出版し、意気軒昂なことこの上ない。世界文化社の公式noteでも健筆を奮っていらっしゃる。https://note.sekaibunka.com/

 その沢野さんから、上記写真のようなイラストや、著作、面白い本の紹介、新聞記事、有名文化人からの直筆メッセージや、お弁当の写真、行ったところの風景写真や、本棚の写真、肉じゃがのレシピや人形の写真など、よくわかんものがメッセンジャーで送られてくる。

 これが実に意味不明で、とりとめもないことも多く、たまには電話で話すが、やはり、どこかおちゃらけて、人を食っており、しかし不真面目でもなく、真面目に不真面目だったり、不真面目に真面目だったりする。

 昔からそういう人で、しかし最近のエッセイは、熟達の粋に達しており、実は簡単に読めるお話も、その裏側というか、内面には、途方も無いほどの時間と物量、様々な色や形や思いで成り立っており、それらの沢野風世界観に、しびれるようになってきた。

 若輩者の僕が、大先輩に対して言うことではないが、ここのところの読み物は、唸るほどに面白くなっているのだ。

 沢野さんとは、僕よりも、妻のほうが長い。東京の千歳船橋で開催された第1回の沢野さんの個展に出かけたのがきっかけで、話をするようになり、彼女が僕と一緒に下田に移住したので、十年くらい前だろうか、沢野さんが下田に遊びに来て、以来、仲良くさせてもらっているのだ。

「大五くん、僕、今度ね、新車を買ったんだ。羽の生えたやつ。どうだ、すごいだろ」

「ハワイやパリなんかでも暮らしたけど、最近はまっているのは、中国なんだ。中国はいいね。深いよ。長旅はしないが、年に何回も行っているんだ」

「この前は長野に行ったよ。山はいいね。空気がうまい」

 下田に来たときもそうだったが、行った先々で欲しい物を見繕っては、買い求め、お店の人と長話をしていく。

 下田に来たことも、数週間後、『本の雑誌』で掲載されて、どこまでがほんとで、どこまでが嘘かわかならないような、僕たちの移住物語になっていた。

 興味があればすぐさま動き、お土産を大量に買いながら、前に進んでいくのが、沢野流の旅の作法だ。

 物を買うのに躊躇はしない。そんな姿は、レンブラントのようなだなと思ったりする。レンブラントも、世界中から珍品一品を買い求め、アトリエに所狭しと置いていた。

「大五くん、今は何を書いているんだい? 僕は小説をやっているよ。小説はなかなか面白いからね」

「小説は難しいです。なかなかうまくいかなくて」

「僕だって、大変だよ。最近は、あんまり本がでなくなっているだろ。でもね、僕は書くよ」

「それは僕も書きます。noteでも書き始めたんです」

「ああ、読んだけど、面白いじゃない。じゃんじゃん書いてよ。君は不良なんだから、暴れまわらないとね」

 このように、意味不明な話もあるが、なんとなくフィーリングはわかるので、そうか、そうか、と僕は心のなかで納得しているのである。

 最近新聞社を辞めた友人が、以前より色々と書くようになっている。彼はこれまで新聞記者時代から何冊も本も出版してきた、正真正銘の物書きである。

 私生活で大変落ち込むことがあったので、なかなか気持ちがまとまらないようで、文章も乱れがちである。

 そんな感想を送ったら、記者の書く新聞記事と、散文は、別世界のように違うんですねという返事が送られてきた。

 新聞記事は、社会的意味や価値を付けることを前提に、文章を練り上げていくのだ。

 たとえば、ある地方で、お祭りが営々と続いていることで、その地域の人と人の結びつきが、しっかりしたものになっていく。それが現在でも、細々とつながっていることに、新聞記者は価値を見出す。

 沢野さんだったら、たとえそういうことを題材にしても、最後には、キンモクセイの香りを振りまいて、文章作りをするだろうなと思う。

 僕たちは、無意味な世界に生きている。

 そこに新聞記事的な意味付けがあってもいいが、それだけでは息苦しくなってしまうのだ。

 こんな時代だからこそ、思い切り空気を吸って、吐き出して、清々として生きていきたい。暮らしたい。

 そんな時に、無意味な世界に対して、勝手にゆる~く意味づけしてくれる沢野ワールドは、実に得難い世界観のように思える。

 上記のイラストのように、裸になって泳いでみたい。そんな風に思えるのである。

 そこには救いが転がっている。

 沢野さんが昨日、旅エッセイを一旦終え、次には「人に幸あれ」の原稿を始めたよとメッセンジャーを送ってきた。 

 熟達した書き(描き)手のメッセンジャーという名の贈り物を、僕はどんな形にすることができるのだろうか。

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