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空の果て、世界の真ん中 2-2

空の果て、世界の真ん中
第2話、約束は遥か遠く2


ここまでの話は航空ギルドでの
出来事である。

すでに出回ってる噂と大した差は無い。
問題はここからだ。

ジーノも断片的な情報を繋ぎ
物語を創作するのに苦労した。

だが、客が聞きたいのは
作家の苦労話ではなく冒険譚だ。

余計なことは言わずに
ブーン兄弟は台本のページをめくる。


名前も聞いていない古い船。
ウィッカ社のアルバトロス級。

廃棄予定だと聞いていたが
きちんと整備されている。

乗り捨てて構わないと言っていた。
もしかすると気を遣わせないために
廃棄予定だと言ったのかもしれない。

いずれにせよ、連中は容赦なく
機関を使い潰さん勢いで
西へと空を駆けた。

定期巡回航路を外れるということは
安全性の担保されていない
空域を渡るということだ。

それでもお構いなしに
最短の進路をとる。

待っていたのは
デタラメな乱気流だった。

見張り台のカロンを暴風が襲う。

「……わ、っと、
 とんでもねえ気流だなこりゃ。

 勘だの腕だので
 どうこうできそうにないな……」

暴風は魔の三角空域に比べれば
どうということはない。しかし、
今回はすでに乱気流に突っ込んでいる。

「この風、雲……場所。今の時期なら……」

強い風から目を庇いつつ、
カロンは感覚を研ぎ澄ませ
空の様子を窺う。

「……ああ、やっぱりな」

伝声管を開き操舵室へ。

『……こちら見張り台。
 随分ひでえ気流だな?』

操舵室にはルージュとローラがいる。

『……裏目に出たか』

『急がば回れ、とは言うけれどね、
 進もうじゃないか。
 グラフトを失うわけにはいかない』

カロンはふたりの声から
焦りと緊張を感じ取った。

だからことさらに明るく言う。

『ま、確かにひどいが最悪じゃねえよ。

 もう少し待ってな。
 今の時期は、この辺りは
 いい風が吹くんだ。

 その時が来たら、
 きっちり知らせてやるから、
 舵は頼んだぜ?』

パチンという音が
伝声管を通じて聞こえてきた。

おそらくルージュが自分の頬を
叩いて気合を入れたのだろう。

『経験はピカイチって事だなカロン。
 任せろ。うまく乗ってやるよ。
 いい風とやらにな』

乱気流に揉まれ、船は揺れに揺れる。
あちこちからギシギシと鳴る音は
まるで船の悲鳴だ。

だが、あの魔の三角空域とは違う。
やがて、乱れた気流を抜けた。

気付けば夜。
すでにとっぷりと日は暮れている。

グラフトを奪われ、
どこか浮足立っていた探空士たち。

そんな彼女たちの心を
落ち着かせようというのか、
空には美しい満月が浮かんでいる。


ひと仕事を終えたラニは
窓から見える月に
思わず感嘆の声を上げた。

日中は大きく揺れる船内で
あちこちてんてこ舞いだったが
今はとても静かだ。

「ふぅ……ようやく紅茶淹れられる。
 揺れすごかったなぁ……」

この船には旧式だが
立派な給湯器がある。

機関の余熱を使って湯を沸かせる。
気温の低い空の上では
これが重宝されるのだ。

特に外気に晒される見張り台の
担当には温かい紅茶が喜ばれる。

ただ、割り当ての時間として、
今、カロンは寝ているはずだ。

ルージュとローラのどちらが
舵を握っているかわからないが、
紅茶を持っていってあげよう。

そうラニは思った。

「お疲れ様でーす。
 お茶お持ちしましたー」

ノックをした後、
操舵室に呼び掛ける。

大声を出せば寝ている者の妨げになる。
だから聞こえるぎりぎりの声で。

「ああ、ありがとうラニ君。
 紅茶は眠気に効く」

扉の向こうから聞こえてきたのは
ローラの声だ。

以前見た血塗れのルージュの恐怖が
心に残っていたため、そこにいるのが
船長ではないと知ってホッとした。

扉を開けて中に入り、
舵輪のサイドのテーブルに
そっとティーセットを置く。

「お疲れ様です。
 夜はローラさんが操舵なんですね」

「いや、どちらかと言えば
 船長が多いかな、夜は」

ローラはそう言って紅茶を一口。

「うん、湯沸かし器があると違うね」

「ですよねですよね!
 自分でも味見してみて思いました!

 やっぱきちんとした設備があると
 違いますよねぇ」

舌の肥えた貴族であるローラに
自分の紅茶が褒められた気がして、
ラニは思わずはしゃいでしまった。

設備のお陰だと自分に言い聞かせ
落ち着きを取り戻す。

「ああ、夜の操舵の話だったね。
 昼間の乱流でね、疲れたみたいで
 寝ているよ、船長は。

 バイタリティに溢れた人だけどね、
 きっと疲労が溜まってるはずだから
 寝かせてあげないと」

そう言うローラの目の下にも隈がある。
いや、それはいつものことだった。

「船長、頑丈ですけど疲れる時は
 やっぱり疲れますものね」

ラニからしてみれば、
それをさり気なく支えてるのが
ローラのすごいところだと感じている。

ふと、月に視線を移す。

「今日、とっても月……キレイですね」

思わず言葉にしたくなるほど
見事な満月だ。

「確かに綺麗だね。

 月か……私のおばあ様が
 秋津洲出身だという話を
 したと思うけれど」

ローラの話に興味を引かれて
視線を月から横顔に移す。

「秋津洲では
 月にはウサギが住んでいるという
 伝承があるそうだよ」

いつもの考えの読めない顔で
そんなことを言う。

「………ウサギ?」

思わずプッと吹き出してしまう。

なんの話が始まるのかと身構えていた。
思いもよらぬカワイイ単語に
つい笑ってしまったのだ。

だが、ラニはすぐに思い直した。
知識の豊富なローラの言うことだ、
もしかしたら学術的な話かもしれない。

そう思って表情を正し、こう応えた。

「やはりウサギだけの独立国が
 月にあるのでしょうか?」

ローラは振り向いて
ラニを不思議そうな顔で見る。
そして、プッと吹き出した。

「ははは、面白いことを言うね。
 そんなことはおばあ様も
 言ってはいなかったな。

 そうか、ウサギの独立国家か、
 それはいい、くくく」

笑っている。

「あ、あるかもしれないみたいな、
 あったらいいなみたいな……
 あは、あははは」

ラニは耳まで真っ赤にして、
知ったかぶりは良くないなと自省した。

しかも気恥ずかしさを紛らわせようと
紅茶を飲んだが、むせてしまう。

そして、落ち着いてから
ふと疑問に思ったことを口に出す。

「ウサギの話をしてくれる
 ローラさんのおばあ様って……
 どんな人だったんですか?」

その質問を受けたローラは
これまで見た中で一番

和やかな表情を浮かべた。

「おばあ様か……。

 おばあ様はね、
 それはそれは優しい方だったよ。

 文化の違う秋津洲から嫁いできて
 大変だったろうに、

 私の生物学上の母親に
 随分いびられていたけれど、
 泣き言ひとつ漏らさず、

 誰にでも優しく接していた……
 強い人でもある」

優しくて強い人、言葉を反芻する。
ラニは自分の育ての親を思い浮かべた。

ただ、ラニは目が良い。
目が良いということは、些細なことも
見えてしまうということ。

ローラが母親と言った時に、
一瞬、険しい顔をしたのも見えていた。

言葉と表情の意味するところに
思い至り、しゅんとする。

そして、つい尋ねてしまう。

「家族なのに……母親と娘なのに……
 仲良くするのは難しい事……
 なのでしょうか?」

聡いローラはラニが何を言いたいのか
すぐに理解した。

「残念だが、
 私があの人を許すことは無いだろう」

冷たい声。
ラニは余計な事を言ってしまったと
少し後悔した。

短いが長く感じられる間。

「そんなつまらない話よりも、だ」

ローラがいつもの調子で言う。

「気になるな、私も。
 ラニ君の育ての親……だったか、
 どんな人だったんだい?」

気を遣わせたのか、
ローラ自身が話題を変えたかったのか、
それとも言葉通りの純粋な興味か。

ローラは逆に質問をしてきた。

「マ、マキナさんですか?
 いや、なんか照れちゃうなぁ」

自分を育ててくれた人のことを想う。

「マキナさんは……コッペリアの女性で」

コッペリアという単語に
ほう、と興味深そうな声が返る。

「とっても優しくて、
 血なんか繋がってないのに
 僕を家族みたいに育ててくれて……。

 朝にはホットミルクを淹れてくれるし、
 料理も上手なんですけど」

指でティーカップを撫でながら
言葉を出す度に想いがあふれる。

「いつも口うるさくて、
 遊んでばかりいないで
 勉強しなさいって。

 夜更かししないで早く寝なさいって」

幸せな日々の思い出が心を乱す。

「……すごく口うるさくて、
 いないほうがいいんじゃないかって
 思う時もあって」

言葉が詰まりそうになりながらも
止まらない。

「でも僕は……

 ずっと一緒にいたかったです……」

月がにじんで見える。
少年は亡き人を想って涙を浮かべた。

ローラはラニの方を振り向かず
手を伸ばし、その頭に優しく置いた。

「ありがとう。ラニ君のお陰で、
 私もおばあ様の優しさを
 思い出すことができたよ。

 ……先に行ってしまった人たちの分も、
 私たちは精一杯生きるとしようか」

下を向いたまま、
手の暖かさを感じながら、
ラニは頑張っていつも通りの声を出す。

「す、少しだけ……
 ここで月を見ていていいですか?」

「はは、だったら、しばらく
 話でもしていようか。
 そんな夜も悪くない……」

ふたりは他愛ない話をした。

ウサギの国の政治、経済、宗教。
もちろん冗談たっぷりに。

きっと少年は
この夜見た月の美しさを忘れない。

ふたりは月を眺めながら思い浮かべる。

心を持つ機械の体の育ての親のことを。

美しい青い花を咲かせた祖母のことを。


偶然か、必然か、同じ目的で
集まった4人の探空士。

短い時の間に共に死線を潜ってきたが、
彼女たちはまだ、互いのことを
あまり知らない。

そもそもの空の果てを目指す理由も、
ルージュは語っておらず、

ローラもカロンも好奇心と答えたが
本当にそれだけなのかを
知ることは難しい。

ラニの言う本当の両親の話も
荒唐無稽と言える。

レイラズの本心を知る術も無ければ、
ラニの持つ短刀と同じ紋章を持つ
超技術の船がなんなのかも不明。

謎と不思議をはらんだまま、
空の旅は続く。

まずはインペリアルフローレスグラフト、
翼を取り戻さなければならない。

誰が盗んだのか。
どこへ向かっているのか。
そいつは何を知っているのか。

ザカリオンの転移石なしに
グラフトを飛ばせたのは何故か。

わからないことだらけだが、
ただひとつ確かなことがある。

人の想いは、いつの時代も、
場所がどこだろうと、
紡がれていくものなのだ。

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