見出し画像

空の果て、世界の真ん中 2-9

空の果て、世界の真ん中
第2話、約束は遥か遠く9


ゲラゲラと笑う聴衆。

忍者というエキゾチックな存在。
得体のしれない秋津洲の神秘。
分身の術という驚異の技。

そんなイメージをぶち壊す
間抜けで滑稽な喜劇。

拙者ァ! ござる!

真似をして笑い合う客たちは
新たな登場人物を気に入ったようだ。

忍者の噂と幽霊船の噂、
両方盛り込んだ甲斐があるというもの。

ジーノはエールを飲み干し、
上機嫌でクライマックスに向かう。


『交戦中の敵艦に告ぐ。
 これ以上の戦闘は
 貴艦の撃墜に至るだろう。

 投降したまえ、ふはははは』

ローラの不敵な笑い声が空に響く。

対するアカツキは焦りを滲ませながらも
毅然とした態度で応答した。

『ええい! 断る!
 貴様たちの様な卑怯者に下げる頭など、

 このアカツキ、
 持ち合わせていないでござる!』

相手の意志を確認したローラは
少しだけ思案してから伝声管に向け
仲間たちに伝える。

『聞いての通りだが、
 相手は異様な雰囲気だ、

 もし乗り移るなら
 十分に気をつけてほしい』

すぐさまカロンから声が返ってきた。

『りょーかい。
 んじゃ悪いんだけど、
 もうちょい寄せてくれるか?』

少しの間。

『……ちょっと向こうのコント
 拝んでくるわ』

茶化してはいるが、
多少の緊張はしているのだろう。

『了解したよ。
 くれぐれも気を付けて。

 なんせ船首で立っていられるような
 身体能力だからね』

そっと舵輪を回し、
ゆっくりと船を近付ける。

『あいよ~』

カロンは気楽な様子で応え、
間近に迫る敵船を見つめる。

「……そこ!」

敵船の甲板にワイヤーフックを射出、
一本の細い線で繋がる。

アカツキの声が響いた。

『盗みだけではなく……
 主上より賜ったこの船に
 土足で踏み入れようというのか』

さっきまでと声の印象が異なる。

『許せん。覚悟召されよ』

ワイヤーの先、
アメノトリフネの甲板。

超人的な跳躍力で
ひとつの影が飛び出る。

カロンを冷徹な瞳で見据える
その男の名は――

「我が名はアカツキ。
 こちらに足を踏み入れれば
 容赦はせぬ」

本当に先程までコントを
繰り広げていた男と
同一人物なのだろうか。

「心して動かれよ」

疑念を抱かざるを得ないほどの
凄みがある。

「あいにくと、こちとら
 お宝のある場所に
 土足で踏み入るのが稼業なんでね」

カロンは慎重にワイヤーを手繰る。

「秋津洲の流儀に従って靴くらいは
 脱いでやってもいいけど……」

仁王立ちの忍者を睨みつけて
啖呵を切る。

「退く気はねえよ!」

小さな体が風に乗り、
アカツキの前へと躍り出た。

忍者は感情の読めない
低い声で応えた。

「越えたぞ」

小刀に手を掛け腰を落とす。
秋津刀を鞘に納めたままの独特の構え。

カロンの目に驚愕の色が浮かぶ。

「その構え……!
 級長津流!?」

シナツ流という単語に、
わずかにアカツキの眉が動く。

「何故、貴殿が、
 その名を知っているのか、
 それは、今は問うまい」

アカツキの気迫が膨れ上がる。

「構えられよ。
 後は、貴殿の刀に聞く」

対峙したカロンには周囲の風景が
歪んで見えたかもしれない。

それほどの圧倒的な鬼気。

気の弱い者なら
へたり込んでいただろう。

カロンには構えを見た時から
わかっていた。

明らかに格上。

目の前の男は自分より強い、
否応なしにそれを
理解してしまっていた。

一太刀でも入れられたら御の字。
だが、カロンに逃げるという
選択肢は無い。

聞きたいことが山ほどある。

「ああ。よろしく頼むぜ。
 ――アカツキ」

格上だからどうした。

カロンは構えを取る。
秋津刀を鞘に納めたままだ。

身長も刀の長さも違うが、
その姿は鏡合わせ。

そう、カロンはアカツキと
まったく同じ構えを取っている。

――張り詰めた糸のような。
今にも切れそうな――

――呼吸さえ忘れそうな。
時の流れさえ止まったような――

刹那、一閃。

刃が陽の光を反射した次の瞬間、
カロンとアカツキの立ち位置は
入れ替わっていた。


抜刀の直前。

大きく心臓が鳴り響く。
風の音がいやにうるさい。
細く、長い呼吸がひどく息苦しい。

カロンの感じていたそれらの感覚は
やがて消え失せる。

手にした刀を、
まるでそうすることが
当然であるというように抜く。

速く、軽く、どこまでも速く。

風のごときその刃を、
目の前の男に向けて
まっすぐに振りぬく。


常人に視える戦いではなかった。

いつまでも動かないふたりが、
突然入れ替わった。

にぶい者なら
そのぐらいの認識しかできないだろう。

「未熟」

アカツキの声。

ふたつ同時の鍔鳴りの音。
二本の秋津刀が
それぞれの鞘に納められた。

少量の血飛沫と共にカロンの体が傾く。
そしてそのまま甲板から空へと
落ちていった。

「貴殿の師は随分と
 酷な事をしたようでござるな。

 何処までも半端な剣。
 貴殿の有り様は、知れたでござる」


ローラは一部始終を霊視していた。
と言っても彼女は剣術の素人。
すべてが理解できたわけではない。

ただ、アカツキが甲板に立った時、
その雰囲気の変わりように驚いた。

「まずい……もし、もしも、
 落とされたら、追えるかい?

 キミならなんとか
 できるんじゃないかな」

真剣な顔で傍らの少女に言う。

『あーん?
 出来るか、出来ないかで聞かれたら
 出来るに決まってるです』

興味の無さそうな声と表情。
対するローラは余裕が無い。

「ほう、出来る、という言葉を
 吐いたなら、証明してもらおうか」

『は? 嫌です、面倒臭い。
 というより、丁度良いのです。

 あのクソガキが消えて無くなるなら、
 それに越したことはないのです』

本心からの笑みを浮かべ、
少女は言い捨てる。

ローラの舌打ちが響いた。

「そういう場合は、
 次からは出来ないと言うんだね」

『ッハ、くだらない挑発なのです』

グラフトにいつでも
急降下できる態勢を整える。

船内に告知している猶予は無い。
ルージュとラニなら、
きっと対処してくれるはずだ。

それよりも、カロンが危ない。

そう思うのと同時だった。
ごくささやかな、
小さな血飛沫が上がったのは。

『お、落ちてくのです、
 あの忍者、ふざけた外見のわりに、
 思ったよりやるのです』

楽しげに観戦していた少女の視線、
その先でカロンの身体が空中に踊る。

「……届け! グラフト!!」

急制動を掛け船を下へと走らせる。

動力に加えて重力が船体を加速させる。
届くはずだ。この船の速度なら。

『丁度良いと、そう言ったのです』

失速。

少女の言葉と同時に
グラフトの速度が落ちる。

「頼む!!
 私の初めての仲間を
 死なせたくはないんだ!!」

『ああん?
 そんな事、私の知った事じゃ――』

「キミに頼んでいるんだ!!
 キミにとって我々が
 邪魔だということも理解した!

 だとしても!
 もしキミに心があるなら!
 頼む! せめて今だけは!!」

一瞬の間。

『……まったく。
 お前たち人間は、
 本当にどうしようも無いのです』

苦笑と共に少女の目が青く光る。

『ええい、やってやるですよ!
 感謝しやがれです!』

少女は手を伸ばす。
その遙か先にはカロンの身体。

何かを掴む様な仕草と同時に
カロンの体が瞬間青く輝き、
落下速度が急激に鈍る。

「……ありがとう」

『ふん、感謝はあれを
 どうにかしてからにするんですね』

「それなら、きっと……」


ラニにもまた視えていた。

空の青さに溶けるように
落ちていくカロン。

気付けば走っていた。

急激な船の無茶な動きに重なり、
落下するように駆ける。

少しでもカロンの近くへ
行ける位置に向かって。

「船長!

 カロンさんが落ちてます!
 もう一度、僕たちに
 奇跡を見せてください!

 助ける手段……まだありますよね!?」

グラフトの急制動と
ラニの言葉にルージュは舌打ち。
足を使って体を固定する。

そして、自らの手にかじりついた。

「当たり前だ」

束になった紙に
ボタボタと血液が垂れる。

世界が捻じ曲げられるような感覚と共に
紙の束が強靭なロープへと
変化していく。

一端はルージュの腕に巻き付き、
もう一端はラニの背中に追いすがる。

「ちびるなよ、ラニ?」

チラリと視界に映ったロープを
ラニはしっかりと掴んだ。

「カロンさんを助けられるなら、
 怖くないですよ!!

 怖くない……怖くない……」

ロープが渡された意味を冷静に――
考えるのはやめた。

それは勝手に動き、
ラニの胴体に巻き付いていく。

一方、ルージュの視界の隅に
何かが見える。

走るラニの背から
砲座の外へと視線を向けると、
それは落下中のカロン。

一瞬、青く輝いたかと思うと、
落下速度が変わり、
見えない角度へと消えた。

通路の先からラニの声が微かに届く。

「……風です! 風が変わりました!
 強く吹いてます!!
 落下速度落ちて……落ちてます!!」

「見りゃわかる!! だからラニ!!
 跳べ!!」

ラニの思考はぐちゃぐちゃだ。
足も、もつれそうだ。
心臓は早鐘を打っている。

ここから跳べば下は雲海。
その下は思い描く空の果てと違い
天国などではない、地獄だ。

跳んだら死ぬと分かっている自分と、
船長を信じて跳べという自分が
心の中で言い争う。

背後から聞こえた跳べという言葉、
それに勇気をもらい――
空に落ちていった。

身体を風が叩く。
際限なく加速していく自由落下。

死を恐れる本能が叫ぶ。

「ここここ……怖いーー!?」

カロンへと近付くラニの体。
手を伸ばせば、届きそうな距離まで。


――落ちていく。
どこまでもどこまでも青い空の中を。

半端。

ああそうだ、分かってる。
そんなこと、言われるまでもなく。
誰よりも自分自身が知っている。

死を覚悟し自らの内面へと
向き合っていたカロンの目に
青い色が飛び込む。

空と同じ、けれども空とは違う、青。

「……なんだよ。
 どんくさいかと思ってたら
 結構やるじゃん」

半泣きの情けない顔を目にして
思わず笑みがこぼれる。

いつの間にか
ゆっくりになっていた落下速度。
走馬灯というやつではなかったらしい。

手を伸ばすーー

「て、て、て、ててて……!!
 手ぇーー!」

ジタバタと必死に伸ばされた手が届く。

ラニはカロンの手を両手で掴んだ。

「……ははっ
 泣くのはいいけど、
 鼻水つけんなよ!」

ニカッと笑う。

「だからっ、言ったじゃ……!!
 ないですかぁ!!

 僕も連れ、連れていっ
 ……泣いてませぇん!!」

空の青さに、涙が数滴。

「今度は、足手まといでも
 連れて行ってくださいよぉ!!」

鼻をすする。

「ははは、気が向いたらな!」

泣いている少年と笑っている少女。
ガクンと強い衝撃がふたりを襲う。
ロープが伸びきり張り詰めた。


小さいとはいえ二人分の体重。
自由落下の衝撃。

ルージュは両足を砲座に引っ掛けて
その重い重い命の衝撃を受け止めた。

「良くやったァァ!」

痛む手を気にすることなく
引き上げようとしたその時、
ぐらっと体が揺れる。

血を失いすぎて力が入らない。


操舵室のローラはラニが走り、
ルージュがロープを
飛ばしたのを見て安堵していた。

これで仲間を失わずに済む、と。

だが、何かが引っ掛かる。
頭の片隅で警鐘が鳴った。

戦闘が始まってから
ルージュはどれだけの
血を使っているだろうか。

ふと湧いた疑問を
自分の中で消化する前に走り出す。

ぐらっと揺れるルージュの体を、
ふたりの仲間に繋がる命綱を、
その手で掴んだ。

「だから言ったんだ!
 無造作に使いすぎだと!!」

ルージュは青い顔で短くため息をつく。

「欲しい時に来るよな、ローラ?
 未来予知能力でもあんのか?」

「あったら、なっていないよ、
 こんな事態には!」

こんなに苛立ち声を荒げる姿を
初めて見たルージュはハハハと
普段のローラのように笑う。

「助かる」

そう言って、腕に再び力を込めた。

「……じゃぁいくぞ!
 あぁああらよっと!!!」

ふたりの力で、
ふたりが引き上げられる。


「うぐぐぐぐぐ!
 男は……ガマン……!!」

負荷に涙目で耐えるラニ。
絶対に手を離さないという意志。

そんな彼の表情から
不意に力が抜ける。

ふわっと、楽になった。
風圧が、体に食い込むロープが、
彼の体を苛むのをやめた。

そして、何かを目で追う。

「空の……切れ端……
 助けてくれるんだ……。
 あは、あはははは! 軽い軽い!」

突然笑い出すラニに
カロンは怪訝な顔をした。

「は? どうした狂ったか?
 ってなんか楽になった……?」

「えっ、だってこの子が……
 あー……うー……
 こ、これはあれですね……

 と、とにかく
 助かったんですよ僕達!
 喜びましょう!!

 今この瞬間を!!」

「……お前、転ぶ才能はあっても
 ごまかす才能がねえな。

 ま、別に言いたかねえなら
 いいけどさ」

カロンはニコリと笑う。

「んじゃ
 とっとと引き上げてもらって、
 酒でも飲むか!」

その様子を操舵室から見る少女。

『ふん、乗りかかった船なのです。
 はー……なんで私がこんな事を
 しなくちゃならんのです』

タイミングを見計らい、
グラフトの姿勢を水平へと戻す。

雲海は間近だった。


やがて、カロンとラニは
無事に船内へと戻る。

「……いや~、悪ぃ!
 助かったわ!」

悪びれずに言うカロンに向かって
ローラは険しい顔で詰め寄った。

「カロン君……!」

だが、不意に後ろを向いて、
鼻声でこう言った。

「おかえり」

カロンは虚を突かれた顔をしたが、
笑顔を浮かべる。

「……ああ。ただいま」

横ではラニがルージュに
敬礼をしている。
へろへろだが。

「せ、船長……な、なんとか
 任務達成しました……」

「ちびらなかったようだな?」

よくやったと言って
傷付いていない左手を軽く挙げる。

一瞬きょとんとしたラニだが、
ぴょんと飛んでハイタッチ。

そんな様子を通路の先の操舵室から
少女は見つめていた。

『まったく……』

苦笑を浮かべ、
何かを懐かしむように
視線を上に向ける。

『どうしようもない連中なのです』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?