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空の果て、世界の真ん中 1-2

空の果て、世界の真ん中
第1話、始まりの船2


空の果てだってよ、とんだ命知らずだ。
聴衆はげらげらと笑っている。

マリオはエールを一気に飲み干し、
酷使した喉を潤わせる。

女子供しか出てこないから喉が疲れるぜ。
そう、こぼすなり誰かが追加のジョッキを渡す。

それでそいつら、すぐ飛んでったのかい?
客の疑問にジーノがニヤリと笑う。

それが傑作でね、船はあるが金は無い、
とんだ無計画な船長だったのさ。

あろうことか、なけなしの金のほぼ全部、
出会った日の晩に呑じまったときたもんだ!

どっと笑う酔客たち。
店の者まで声を上げて笑っている。

誰が見てもつかみは上々だ。
兄弟は互いの顔を見てニッと笑う。

それじゃあ続きを語ろうか。
ジーノの一声で室内が再び静まり返る。


「さて、困ったね、親父殿が
 湯水のように注ぎ込んだ金が恨めしいよ」

ローラが沈痛な面持ちでぼやく。

「空の前に塔の中で命を捨てる、
 なんて笑い話にもなんねーな」

さすがのカロンもため息を隠せない。

この連中、残されたわずかな金を食い潰しながら
金を稼ぐための依頼を探していた。

だが、空の果てを目指そうなんて
得体の知れない連中に重要な仕事を
任す冒険家は現れない。

当てが外れたとばかりに
船長は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

そこに笑顔満面のラニが駆け込んできた。
カロンの表情もぱっと明るくなる。

「行きつけのパン屋で
 パンの耳もらってきました!
 これ食べて元気出しましょう!」

「でかした!!」

ルージュは大喜びで固くなったパンの耳を
皿に広げて口に頬張る。

「お、なにタダでそんなもんもらえんの?
 ヴィクトリア・シティすげえな!」

カロンもご機嫌でそれを口に運ぶ。

「…………」

無言で紅茶に浸し、柔らかくして食べるローラ。
ちなみに、この紅茶は出涸らしだ。

「…って……違う!! 違うだろ!!?」

我に返ったルージュがわめき出す。

「なんでだ! なんで仕事がねぇんだ!!」

ギルドに響き渡る悲痛な声。
他の探空士たちが驚いて向けてきた視線は
すぐに逸らされる。

誰も関わり合いになりたくないんだ。
そりゃそうだ。

「僕たち……すっかり変わり者扱いですね」

もそもそとパンの耳を食べながら呟くラニ。

「私はてっきり、すぐにでも
 旅立つものだと思っていたよ」

嘆息しながらも残念な食事を続けるローラ。

「いいか、大きく跳ぶためには、
 助走が必要ってんだ」

負け惜しみにしか聞こえない
ルージュのうめくような声。

それを受けてローラが
明後日の方向を見ながら言う。

「言っておくけれども、
 私は親族連中の厄介にだけは
 死んでもならないよ」

「あたしは乗組員の顔に泥は塗らねーよ」

ラニは悲しいやり取りに下を向いてしまう。

「……ん~、変わり者の集団に
 依頼してくる奴なんて、変わり者って
 相場が決まってるしそうそうは来ないよな」

カロンの言葉にハッと顔を上げた少年は
みんなを元気付けようと力強く言った。

「で、でも変わり者に依頼する変わり者さんが
 いる可能性はきっとありますよ!

 僕、近所に依頼してくれそうな人がいないか、
 明日も探してみます!」

もちろん、そんな変わり者がご近所にいるなら
とっくに話は来ているはずだ。

周囲に丸聞こえの会話。
苦笑を隠しきれない同業者たちが
不意に入口の方を注視する。

空気が変わった。
活気のあったギルド内に緊張が走る。
ひとりの女性が入ってきたためだ。

空にも似た青色の花を右目に宿すフローレス。

フローレス自体珍しいことは確かだが、
彼女はあまりにも神秘的だった。

その場にいた者たちのほとんどが、
手を止め口を閉じ目を向ける。

「おや、場の空気が変わったね、
 なんだろうね、彼女は」

静まり返った室内のせいでローラの軽口が
妙に大きく聞こえる。

気軽に声を掛けて良い雰囲気ではない。
にも関わらずカロンはとびきりの愛想を
まとって近寄っていく。

「……おねーさん、依頼?」

精一杯可愛らしく、
他の誰かに仕事を取られないように。

「ええ、ありがとうございます、
 声を掛けて頂いて。

 お陰で、手間が省けました」

全てを包み込むような微笑を浮かべ、
フローレスは隻眼でカロンを見据える。

「そりゃあ良かった」

この時カロンは厄介事の匂いを
感じ取っただろうね。

それはルージュとローラも同じだった。

「ふむ、船長、変わり者の匂いがするよ」

「厄介の匂いもだけどな」

そんな3人の気持ちも知らずに
意を決したラニが駆け寄る。

「い、依頼だったら……

 僕たち、手が空いてますよ!」

目を輝かせてそう言う少年に、
カロンは乗っかるしかなかった。

「そうそ、絶賛受付中だよ」

フローレスは口元に手を当て、
小さく笑い声をこぼした。

「ふふ……それは有り難いですね。

 先約が入っていたら
 どうしようかと考えていたのです。

 実は、最初から、
 あなた方にお願いをしようと参ったのですよ。

 今は名もなき――
 空の果てを目指す、あなた方に」

浮世離れした声だった。
ラニは呆然とし、
カロンの笑顔が少し引きつる。

「へえ? ……相思相愛ってやつだね」

「僕……たちに?」

「せんちょ! 依頼だってよ?」

ローラは薄い紅茶のカップで口元を隠し、
ルージュは難しい顔をしている。

「確かに厄介事の匂いだね」

そんなふたりに微笑みを向けるフローレス。

「どうでしょう、まずは話しだけでも、
 聞いていただけませんか?」

「ルージュ船長! 聞いてみましょうよお話!」

「あぁ、聞こえてる、聞こえてるよ!」

癖なのか、頭を掻きながら乱暴に応える。
ティーカップを置いたローラが代わりに答えた。

「構わないとも、話を聞くだけはタダだからね」

「わーったよ、こちとらあと数日で
 餓死するのが分かり切ってんだ」

明らかに警戒した様子で立ち上がり、
椅子を引いて着座を促すルージュ。

「どうも、初めまして。ルージュだ」

「ご丁寧に、ありがとうございます。

 私は、レイラズと申します。
 以後、お見知りおきを」

ヴィクトリア・シティの作法とは異なる、
だがそれでいて、優雅さがにじみ出る、
美しい礼をひとつ返す。

「やあ、私はローラだ」

「オレはカロン。よろしくな~」

「えーっと……ラニです!」

慣れないお辞儀をして
照れくさそうに笑うラニだけが嬉しそうだ。

「ええ、皆さんも、よろしくお願いいたします」

全員の着席を確認すると、
ルージュは懐から紙を取り出した。

「それじゃぁ、依頼、聞かせてもらうよ。

 もし、人前で話したくねーってんなら、
 視界を遮ることもできるが」

血の小瓶を片手にレイラズの表情をうかがう。

「どうする?」

レイラズの表情は依然として柔らかな微笑。

「お気遣い、ありがとうございます。
 ですが、問題ないでしょう。

 法に触れる類のものではございませんしね」

この言葉でルージュ一味の警戒が
ほんの少しだけ緩んだ。

「皆さんには、とある空域の
 探索をお願いしたいのです。

 恐らく、通常の探空士様たちでは、
 断られてしまうような場所なのですが、

 空の果てを目指される、
 勇気ある皆様たちなら、
 あるいはと思いまして」

これはこれでキナ臭い話だ。
ルージュはわざとらしくうなづく。

「勇気。そう、勇気。いい響きだ」

「そんなに勇気のいることとは
 思わないけれどね、私は。
 まっとうな好奇心さえ持っていれば」

「ふふふ、ローラ様にとって、
 それは当たり前の事なのですね」

底の知れない微笑みに
ローラの口元がわずかに引き締まる。

「どうでしょう?
 依頼の方は受けて頂けますか?」

ラニの視線が真っ直ぐに
ルージュへと向けられる。

カロンもローラも心中を読めない顔で
さり気なく目を逸らす。

「報酬は、これだけの額を
 ご用意させて頂く予定です」

レイラズは空気が読めないのか
敢えて読まないのか、
数字の書かれた紙をスッと提示する。

「ええええええ!?」

ラニが驚くのも無理はない。

桁を間違えているのでなければ
新造艦を1隻買えてしまう額が記されている。

「随分また気前がいいな」

「はは、冗談ではないのだよね?」

興味を示した現金なふたりに対して
ルージュは沈思黙考。

「…………」

「これ……何かの間違いじゃないですか……?」

ラニの疑問にレイラズは即答する。

「私には必要のないものですし、
 働きには代価を以て報いるものでしょう?」

「ひとつ、聞いていいか?」

ルージュが口を開く。

「なんなりと」

「とある空域っつったな、レイラズ。
 そりゃどこだ?」

直截な質問にレイラズはニコリと微笑み、
空図はございますかと尋ねた。

「ふむ、少しだけ古いけれど、
 これで問題ないはずだよ」

ローラの広げた空図。
その一点を謎の依頼人は迷いなく指で示した。

ヴィクトリア・シティの南東。
空図には何も描かれていない場所。
誰もが知る忌むべき空白。

船の墓場。
常に雷雲が立ち込める
迷い込んで帰った者のいない所。

誰が呼んだか『魔の三角空域』。

「……なるほどねぇ。
 ここならあの額も納得だな」

頭の中で金勘定を済ませたらしいカロン。

「…………」

再び口をつぐんでしまったルージュ。

「ふむ、冗談なら悪質に過ぎる。
 つまり、真面目な話ということだね」

好奇心を刺激されたらしいローラ。

「えっ? そんなにすごい場所なんですか?」

有名な場所だが、本当に知らないらしいラニ。

「どういたしますか?」

「私としては、受けて頂けると、
 信じておりますが」

レイラズは最初と変わらない笑みを浮かべ、
そうのたまった。

「いいじゃないか、そこに実際に何があるのか、
 見てきた者はいないんだ。
 私は興味があるよ」

「……オレの命は、今船長預かりだからな。
 お好きにどうぞ?」

ローラとカロンは好奇心が勝っているようだ。

それを見てルージュは渋面を崩した。

「……レイラズ、質問をひとつ追加だ。

 探索といったな? 何を探索する?
 欲しい物が眠っている?
 それとも、仲間の遺品か?」

「ふふ、何もございませんよ。

 そうですね、敢えて言うのなら……」

レイラズはあごに指を当て、
小首をかしげて見せる。

「お節介、といったところでしょうか。

 夢を見る、皆さんへの」

その微笑みは透き通るようだった。

さすがに何かある。
カロンもローラもルージュにならって思案顔。

ただひとり、先に決意を固めた少年がいる。

「船長! 受けましょうよ!
 渡りに船ってやつですよねこれ!」

彼とて状況は理解している。
危険な場所だというのは
他の3人の反応からわかることだ。

それでも、少年は船長の袖を引いた。

「試金石、といったところか?」

ルージュは慎重に尋ねた。
試されていると感じたのだろう。
本命の仕事を依頼するに足るかを。

だが、レイラズの答えは違った。

「ふふ、そんな大層なものではありませんよ。

 神ならぬ私には、その様な振る舞い、
 畏れ多いことです。

 お節介、それ以上でも以下でも無いのです」

最初に考えるのをやめたのは
意外にもローラだった。

「まぁ、いいさ。船長に任せよう」

手をひらひらさせてから
紅茶のおかわりを淹れる。ほとんどお湯だが。

心を決めたルージュは不意に笑みを見せる。

「あぁ、お前の言う通り、あたし達は
 無謀にも空の果てを目指す
 ネジのいかれた船乗りさ。

 そのお節介、
 ありがたく受け取ろうじゃねぇか。

 お駄賃は……
 旅の面白可笑しい話でいいんだな?」

「……! 船長……!」

目をキラキラさせるラニの頭を
ぽんぽんと優しく叩くルージュ。

「いいねえ、面白そうだ」

船長が腹をくくったのなら楽しむしかない
とでも言いたげな様子のカロン。

「素晴らしい」

レイラズは目を細め、眩しいものを見るような、
懐かしいものを見るような、そんな表情を浮かべ
両手をぽんと合わせた。

「それでは、前金……というのでしたか?
 皆様にお渡ししておきましょう」

航行の準備には十分過ぎる額の現金と
一枚の古びた空図をテーブルに乗せる。

「あぁ、助かる。

 正直、おんぼろのふねじゃぁ、
 命捨てに行くようなもんだ
 有意義に使わせていただこう。

 して? 随分年季が入っているじゃないか」

ルージュが空図について触れると、
レイラズは人差し指を
自分の唇の前に立てて見せた。

その瞬間、音が消えた。

ギルドの喧騒が掻き消えたのだ。
魔法、誰もがそう思った。
アンティーク以外は。

世界をへし折るような感覚。
魔法ってのはそんなようなものを伴うそうだ。
それが無かったらしい。

「驚いたね、なんだい、これは。
 はは、世の中にはまだまだ
 未知のものがある証拠じゃないか」

カロンとラニにはなんの事やらだが、
ローラはひどく興味を惹かれたようだ。

「ふふ、そう大層なものではございませんが、

 それだけは、少し、世には出したくないので、
 ここだけ空間を切り取らせて頂きました」

「空間を切り取る……」

聞いたことのない言葉に、
ローラは喜びルージュは警戒した。

「これだから人は塔の中に
 引きこもっていてはいけないのだよ。

 俄然興味が湧いた。
 行こうじゃないか、探索に」

レイラズが続ける。

「その空図は、誰もが知り、誰も知らない
 一人の英雄が残してくれたものです。

 解りやすく言うのであれば、
 皆様が魔の三角空域と、
 そう呼ぶ空域の空図ですよ」

レイラズは微笑みを絶やさない。

「すでに誰かが到達していた、と。
 ふむ、興味深い。
 それを我々は知らないわけだ」

「これだけでとんでもないお宝じゃん」

ルージュはまだ難しい顔をしている。

「……道が分かっても尚、
 険しい旅路であることに変わりはないな」

「でも……帰ってきた人がいるなら、
 僕たちだってきっとできますよ!」

無邪気に断言するラニ。

「これが本物かどうか、なんて
 考えるだけ無駄なようだね。
 元より前人未踏を志す身だ」

色付きのお湯を飲み干すローラ。

「それにここだけじゃない。
 世界の果てを目指すんだ。
 険しいくらいの道じゃなきゃ嘘だろ?」

笑顔で言ってのけるカロン。

それでもルージュには
命を預かる船長としての責任がある。

「……世に出したくないか。
 それを深く聞くのは野暮ってやつだな。

 その中心の塔に、何がある?」

空図には嵐雲の中心に未知の塔が描かれていた。

「それは、皆様自身で
 確認されると良いでしょう」

そう言うと不意に、本当に唐突に
レイラズは席を立った。

それと同時に周囲の喧騒が帰ってくる。
切り取られた世界が戻ったらしい。

「過去から、繋がれた糸は、
 今確かに皆様の元へ結ばれました。

 それでは、ごきげんよう、
 またお会いしましょう」

立ち去ろうとする謎のフローレス。
聞きたいことは山ほどある。

誰かが引き留めようと声を出す直前。

「ああ、そうでした」

レイラズは振り返る。

「ローラ様、お祖母様は御壮健ですか?」

「うん? おばあ様なら、
 残念ながら数年前にみまかられたよ。

 ……あ、もしや、
 おばあ様の縁者だったのかい?」

予想外の話題に他の3人は口をつぐむ。

「……そうでしたか、
 時が経つのは早いものですね」

この時、レイラズは初めて表情を曇らせた。

「縁者……そうですね、縁者なのでしょう」

そう呟くと、再び笑みを湛える。

「ラニ様、カロン様、あなた方の望むものは、
 進む先にあります。
 迷わずに進まれると良いでしょう。

 そして、ルージュ様。
 お母様に、よろしくお伝え下さい」

「…………」

「……オレの望むもの、か」

「えっ、本当ですか!?
 よかったぁ…がんばるぞぉ!」

4人がレイラズの言葉に
気を取られていたのは事実だ。

だが、目の前にいた人物が去ったこと
に気付かぬほどではない。
それなのに――レイラズの姿は消えていた。

「なんなのだろうね……あの力は」

「オレの目で追えないってことは
 まあ普通の力じゃないだろ」

ルージュは黙りこくっている。

「それはそうと、誤解が無いよう言っておこう」

ローラは3人に向き直る。

「私のおばあ様はおじい様が
 秋津洲から連れてきたフローレスでね。

 もしかしたら、遠い親戚か何か
 なのかもしれない。彼女は」

当時お貴族様がたの間で
スキャンダルになった話だ。

血統主義のアンティークには青天の霹靂。
分家の立場は相当悪くなったらしい。

「あ、なるほど!
 だからあんなに親切だったんですね!」

納得顔のラニに、
別のことを気にしていそうなカロン。

「まあ縁者、とは言ってたな」

そして、しばらく黙っていたルージュは
うーんとうなり、口を開く。

「……フローレス、か。

 ……色々と……関係者ってことだな。

 もう少し、話を聞かねーとな。
 ったく、マイペースにもほどがあるぞ……」

謎の依頼人。
それぞれに思うところのある一行。

まだ彼らは会って数日の他人だ。
黙っていることもあるだろう。

だが、これでようやく、
同じ船で旅立つことができるようになった。

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